「働かなくても生きられる」と「働かない」は、同じではなかった|人生を組み替える|仕事編②

人生を組み替える

「人生を組み替える」シリーズ | #02  40代半ば、自由になって初めて考えたこと

仕事を辞めた。

そう聞くと、「しばらく自由な時間を楽しめるようになったんだな」と思われるかもしれない。

実際、私は仕事を辞めてから、動き回っていた。

海外へ行った。

ヨガにも通った。

引っ越しの準備をした。

住む場所を変えた。

そして、いろいろな場所へ旅行した。

仕事をしている間にはなかなかできなかったことを、次々とやってみた。

最初は、それが楽しかった。

「仕事がないって、こんなに自由なんだ」

そう思った。

でも、しばらくすると、少しずつ違う感覚が出てきた。

自由な時間は、思っていたより難しかった。

そして7月頃になると、私はブログをほとんど書けなくなっていた。

「何を書けばいいんだろう」

そんなことを、ずっと考えていた。


仕事を辞めてから、意外と忙しかった

5月に仕事を辞めた。

その直後には海外へ出かけた。

しばらくゆっくりしたら、今度は引っ越しの準備が始まった。

6月はヨガにほぼ毎日のように通いながら、引っ越しの準備。

退職に伴う手続き。

引っ越しに伴う手続き。

行政関係の書類。

住所変更。

保険や年金のこと。

それまで会社がやってくれていたことを、自分で一つずつ片付けていった。

そして、地方へ引っ越した。

「仕事を辞めたら暇になる」と思っていたけれど、最初の数か月は、むしろやることが多かった。


7月も、まだ「新しい生活」は始まっていなかった

引っ越しが終われば、少し落ち着くのかと思っていた。

ところが、7月に入っても行政手続きは続いた。

失業給付に関する手続き。

年金と健康保険に関する手続き。

退職や引っ越しに伴う、いろいろな手続き。

会社員だった頃には、あまり意識しなかったことばかりだった。

会社を辞めるということは、単純に「仕事がなくなる」ということではない。

それまで会社がやってくれていたことを、自分で一つずつやらなければならない。

そして、何より現実的だったのが、お金だった。


通帳の残高が、少しずつ減っていく

収入がなくなれば、当然ながら残高は減っていく。

頭では分かっていた。

仕事を辞める前から、分かっていた。

それでも実際に、毎月の生活費や保険料、税金などが口座から引かれていくのを見ると、

「本当に仕事を辞めたんだな」

と実感する。

しかも、失業給付はすぐに振り込まれるわけではない。

手続きをして、認定日があって、その後に振り込まれる。

退職してからしばらくの間は、収入がない状態で支出だけが続いていく。

私はこれまで、失業給付を受けたことがなかった。

だから、何もかもが初めてだった。

「こんなに時間がかかるんだ」

と思った。

健康保険料や税金の請求が届くたびに、

「うわ……」

と、少し気持ちが沈んだ。


FIREできるほどお金があれば、不安にならないのだろうか

私はこれまで働いてきて、ある程度の資産を築いてきた。

生活を大きくしなければ、必ずしも今すぐフルタイムで働かなければ生活できない、という状況ではない。

いわゆるFIREという生き方を考えることもできる。

だから、客観的に見れば、

「仕事を辞めても大丈夫なんじゃない?」

と思われるかもしれない。

自分でも、そう思うことがある。

でも、実際に収入がなくなって、口座の残高が少しずつ減っていくのを見ると、やっぱり不安になる。

不思議なものだ。

「生活できる」と頭で分かっていることと、

「今月もお金が減った」と実感することは、まったく別だった。


自由な時間は、思っていたより難しかった

仕事を辞めたら、やりたかったことをいくらでもできると思っていた。

実際、最初は楽しかった。

時間を気にせず動画を見る。

旅行に行く。

行きたかった場所へ行く。

平日にヨガへ行く。

仕事をしていた頃にはできなかったことを、次々とやってみる。

でも、その感覚は思ったほど長く続かなかった。

FIREについて調べていると、仕事を辞めた直後は、動画配信サービスなどを思う存分楽しめるけれど、しばらくすると飽きてしまう、という話を見かけることがある。

働いているときには、見たいと思いながら時間がなくて見られなかった作品がいくらでもある。

だから最初は楽しい。

でも、いくらでも見られるようになると、今度は「見ること」そのものに意味を感じにくくなる。

私も、まさに似たような感覚を体験した。

「もっと時間があれば、あれもこれもできるのに」

と思っていたはずなのに、時間がいくらでもあると、今度はその時間をどう使えばいいのか分からなくなる。


「楽しい」と「満たされる」は、同じではなかった

旅行もそうだった。

7月は、いろいろな場所へ出かけた。

山に登った。

お祭りを見た。

古い街並みを歩いた。

海や街を見て、温泉に入って、知らない場所を歩いた。

旅行そのものは、とても楽しかった。

その瞬間は、間違いなく楽しい。

でも、旅から帰ってきてしばらくすると、ふと思うことがあった。

「この経験は、この先の自分に何を残してくれるんだろう」

もちろん、旅行に意味を求めすぎる必要はない。

「楽しかった」

それだけでも十分なのだと思う。

でも、私の場合は、ただ経験を消費していくことだけでは、どうやら満たされないらしい。

旅で見たもの。

出会ったもの。

考えたこと。

それらが、その後の自分の生活や仕事や何かにつながっていくと、もっと面白い。

そんなことを感じるようになった。


「何もしなくていい」のに、何かをしなければと思ってしまう

さらに不思議だったのは、何もしなくてもいいはずなのに、何かをしなければならないような焦りがあったことだ。

仕事はない。

やるべき仕事もない。

時間はある。

それなのに、何かをしていないと落ち着かない。

何か新しいことを始めなければ。

ブログを書かなければ。

これからの仕事を考えなければ。

住宅の勉強もしなければ。

お金のことも考えなければ。

そんなことを考えているうちに、実際には何もしていないのに、頭だけが疲れていった。

夏の暑さもあったと思う。

旅行が続いた疲れもあった。

引っ越しによる環境の変化もあった。

新しい土地での生活にも、まだ慣れていなかった。

いろいろなものが重なって、身体だけでなく、頭も疲れていたのだと思う。


そして、一人の時間についても考えるようになった

旅行は楽しかった。

でも、そのときには一緒に出かける相手がいた。

だからこそ、ふと考えた。

「これから、一人でこういうところへ行くとしたら、私はどんな気持ちになるんだろう」

一人で食事をして。

一人で観光して。

一人で帰ってきて。

仕事を辞めて、住む場所も変わった。

以前とは人間関係も変わった。

これから先、自分一人で遊びに行くことが増えたら、そのとき自分はどんな孤独を感じるんだろう。

そんなことを、まだ実際には起きていない未来のことなのに、少し考えてしまった。

自由になるということは、同時に「誰と、何をして過ごすのか」を自分で選ぶことでもある。

そのことにも、少しずつ気づき始めていた。


7月、ほとんどブログを書けなかった理由

だから、7月はブログを書くことがほとんどできなかった。

書く時間がなかったわけではない。

むしろ、時間だけならたくさんあった。

でも、

「何を書けばいいのか分からない」

という状態だった。

旅行に行った。

引っ越した。

仕事を辞めた。

新しい土地で暮らし始めた。

書こうと思えば、いくらでも書ける。

それなのに、パソコンを開いても言葉が出てこない。

今思えば、私はまだ自分の中で、いろいろなことを整理できていなかったのだと思う。

仕事を辞めたこと。

住む場所を変えたこと。

これからの仕事。

お金のこと。

一人で暮らすこと。

これから何をして生きていくのか。

その答えがまだ見つかっていないのに、何かを書こうとしていた。

だから書けなかったのかもしれない。


「自由になった」のではなく、「何をするかを自分で決めなければならなくなった」

仕事をしているときは、一日のかなりの部分が決められている。

起きる時間。

出勤する時間。

仕事をする時間。

帰宅する時間。

休みの日も、「次の出勤までに何をするか」という基準がある。

ところが仕事を辞めると、その枠がなくなる。

最初は、それが自由だと思った。

でも実際には、

「何をするかを全部自分で決めなければならない」

ということでもあった。

これは思っていた以上に大きな変化だった。

自由は、何もしなくてもいいこと。

でも同時に、

自分で意味をつくらなければならないこと

でもあるのかもしれない。


だから私は、何かを「積み上げたい」のだと思う

動画を見る。

旅行する。

美味しいものを食べる。

もちろん、それらは楽しい。

でも、それだけではなく、

「今日やったことが、明日の自分につながっている」

と思えることもしたい。

新しい知識を身につける。

何かを作る。

誰かの役に立つ。

ブログに書く。

経験を別の何かに変える。

そういう時間が欲しい。

そして、ここでようやく、住宅を学ぶという話に戻ってくる。

住宅について学べば、ただ知識が増えるだけではない。

いつか自分の家を直すことができるかもしれない。

中古住宅を見る目が変わるかもしれない。

空き家を活用できるかもしれない。

誰かの住まいについて考える仕事につながるかもしれない。

そして、いつか自分で小さな仕事を作れるかもしれない。

つまり、

「経験を消費する」のではなく、「経験や知識を次の何かにつなげる」

ことができるかもしれない。


私は「働かない人生」が欲しいわけではなかった

ここまで考えて、ようやく少し分かってきたことがある。

私は、働くことそのものが嫌になったわけではない。

欲しかったのは、

「どう働くかを自分で選べる自由」

だったのだと思う。

「生活のためだから、この仕事をする」というだけではなく、

自分が興味を持てること。

これまでの経験を活かせること。

誰かの役に立てること。

自分で工夫できること。

そして、できれば、自分の裁量で小さくても何かを作っていけること。

そういう働き方ができたらいい。


働くことは、時間を売ることだけではないのかもしれない

これまで私は、働くということをかなり単純に考えていたのかもしれない。

時間を提供して、その対価として給与をもらう。

もちろん、それも仕事の大切な一面だ。

でも、これからはもう少し違う働き方も考えてみたい。

知識を身につける。

経験を積む。

それを誰かに提供する。

自分で小さなサービスを作る。

そこからまた新しい経験を得る。

そうやって、自分の中にあるものを少しずつ積み上げていく。

それなら、働くことは単に「自由な時間を減らすこと」ではなく、

自分の人生に何かを積み重ねる時間

にもなるのかもしれない。


「働かなくても生きられる」と「働かない」は、同じではなかった

仕事を辞めてみて、初めて分かった。

私は、働かないことそのものを目指していたわけではなかった。

「FIREできるか」ということより、

「私はこれから、どんなふうに生きたいのか」

を考えている。

働くなら、何のために働くのか。

学ぶなら、何を学びたいのか。

どこで暮らしたいのか。

どんな人と関わりたいのか。

どんな生活を自分で作りたいのか。

仕事を辞めたからといって、自動的に理想の人生になるわけではない。

お金の不安もある。

孤独もある。

時間の使い方にも悩む。

「何をして生きるのか」という問いも残る。

でも、それを考えられる時間を持てたこと自体は、今の私にとって大きな意味がある。


人生を組み替えるということ

たぶん私は、人生をゼロからやり直したいわけではない。

これまで働いてきた時間も、身につけてきた知識も、旅行で見てきたものも、これまでの人間関係も、全部なくなるわけではない。

それらを持ったまま、これからの人生に何を足していくのかを考えたい。

仕事を辞めた。

住む場所を変えた。

自由な時間ができた。

そして、その自由な時間をどう使うのかを考えるようになった。

ただ消費するだけではなく、何かを学び、何かを積み上げ、その経験を次の何かにつなげていく。

その一つが、住宅を学ぶことだった。

住宅を学べば、すぐに理想の働き方が見つかるわけではない。

でも、自分でできることが一つ増える。

選べる道が一つ増える。

それだけでも、これからの人生には意味があるのかもしれない。

「働かない」という自由ではなく、「どう働くかを自分で選べる」という自由。

私は今、その自由を少しずつ作ろうとしている。

まだ、その先に何があるのかは分からない。

だからこそ、今は一つずつ試してみたい。

人生をやり直すのではなく、これまで持っているものに新しいものを足して、少しずつ組み替えていく。

その過程そのものを、これからこのブログに残していこうと思う。


仕事を辞めてみて、私は「働かない人生」が欲しかったわけではないのだと気づいた。

では、仕事をしない時間ができた私は、実際に何をして過ごしているのか。

……実は、これが思っていた以上に難しかった。

仕事を辞めたら、自由になった。
そして、暇になった。

次回は、そんな「自由すぎる時間」を持て余している、45歳の夏について書いてみたい。


「人生を組み替える」シリーズ|全話はこちら

仕事、暮らし、学び方――40代、これからの人生を自分で選び直していく。


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