自分の考えを検証するために思考する人、自分の考えを守るために思考する人|共感と距離㉖

共感と距離の間

「共感と距離のあいだ」シリーズ 第26回

この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。


人と話していて、

「この人、よく考えているな」

と感じることがある。

知識が豊富だったり、難しい本を読んでいたり、いろいろな経験を語ったりする人だ。

けれど、ある人との会話をきっかけに、「知識があること」と「思考していること」は、必ずしも同じではないのかもしれないと思うようになった。

その人は、自分の考えをよく話した。

そして、こちらが違う意見を言うと、それを受け取って終わるのではなく、何度も自分の考えを説明してくる。

「私はそうは思わない」

と言っても、

「でも、こういう場合は……」

「いや、そうじゃなくて……」

と続いていく。

そこで感じたのは、

この人は、自分の考えを検証するために思考しているのではなく、自分の考えを維持するために思考しているのではないか。

ということだった。

思考には、二つの使い方がある

思考というと、普通は「頭を使って考えること」だと思う。

けれど、同じように考えているように見えても、その方向は大きく違う。

一つは、

「自分はこう思う。
でも、本当にそうだろうか?」

と、自分の考えを検証するための思考。

もう一つは、

「自分はこう思う。
だから、どうすればこの考えが正しいと言えるだろう?」

という、自分の考えを守るための思考。

どちらも外から見ると、「よく考えている人」に見える。

しかし、中で起きていることはまったく違う。

自分の考えを検証する人は、「違う情報」を歓迎する

自分の考えを検証するために思考する人は、反対意見が出てきたときに少し立ち止まる。

「なるほど。なぜこの人はそう考えるんだろう」

「自分が見落としているものがあるのかもしれない」

「自分の前提が間違っている可能性はないだろうか」

そんなふうに考える。

だから、相手から反論されることが、必ずしも不快ではない。

むしろ、自分の考えを更新する材料になる。

もちろん、自分の意見を変えるとは限らない。

最終的に、

「やっぱり私はこう思う」

となってもいい。

重要なのは、その前に一度、

自分の考えを疑ってみることができるかどうか。

自分の考えを守る人にとって、反対意見は「情報」ではなく「脅威」になる

一方で、自分の考えを守ることが目的になっていると、反対意見の意味が変わる。

「私はそう思わない」

という相手の言葉が、

「あなたの考えは間違っている」

「あなたには見る目がない」

と言われたように感じられる。

すると、

「でも……」

「いや……」

「そうじゃなくて……」

と説明が始まる。

相手が納得すれば安心する。

納得しなければ、別の理由を持ち出す。

それでも相手が考えを変えなければ、今度は相手そのものを評価し始める。

「あなたはそういう考え方だから」

「そういうところがあるから」

と。

こうなると、もう思考の目的は真実を探すことではない。

自分の自己像を守ることになっている。

「自分は人を見る目がある」という自己像

これは人間関係では特に分かりやすい。

「自分は人を見る目がある」

「人から相談される」

「いろいろな人を見てきた」

「自分は経験豊富だ」

そんな自己像を持っている人がいたとする。

そこに、

「私はあなたの見方とは違います」

という人が現れる。

すると本来なら、

「そういう見方もあるんだな」

で終わることができる。

しかし、自分の自己像を守る必要がある場合、

「自分の判断が正しい」

というところまで相手を連れていきたくなる。

相手が納得してくれれば、

「やっぱり自分は人を見る目がある」

という自己確認ができる。

だから、相手を説得することが、自分自身を確認する作業になってしまう。

知識があることと、知識を使って考えることは違う

ここで、もう一つ気づいたことがある。

人は、難しい本の内容をたくさん話している人を見ると、「知的な人」という印象を持ちやすい。

専門用語を知っている。

研究結果を知っている。

著名な医師が書いた本を読んでいる。

心理学や脳科学について語れる。

それだけで、なんとなく「この人は深く考えている」と感じる。

でも、本当はそこにも違いがある。

知識を持っていることと、知識を自分の中で咀嚼していることは違う。

誰かが研究して発見したことを覚えていて、それを正確に説明できる。

これは立派な能力だ。

けれど、それを自分の経験や他の知識と照らし合わせ、

「この研究はどこまで一般化できるのだろう」

「この理論にも限界があるのではないか」

「自分の経験には当てはまらない部分もあるのではないか」

と考え始めて、初めて自分自身の思考になっていく。

「知識の再生」と「思考」は違う

私には、ある人との会話の中で、その違いを強く感じる瞬間があった。

難しい研究をしている医師が書いた本の内容を、覚えていて、それを流暢に話す。

一見すると、詳しい。

けれど、話を聞いていると、

「この人自身は、その知識についてどう考えているんだろう」

という疑問が残った。

本に書かれていることを説明することと、その知識を使って自分で考えることは違う。

誰かの研究結果を知っていることと、

「その研究結果を、自分の目の前にいる人にどう当てはめるべきか」

を考えられることも違う。

さらに、

「この知識を、自分自身にも適用したらどうなるだろう」

と考えられることは、もっと違う。

知識が自分の外側に置かれたままなら、それは「知っていること」ではあっても、必ずしも「考えていること」にはならない。

本当に知的な人は、自分自身も検討対象にする

ここが一番大きな違いなのかもしれない。

本当に思考する人は、

「相手はなぜこうなんだろう」

だけではなく、

「自分はなぜこう感じたんだろう」

も考える。

「相手の考え方がおかしい」

だけではなく、

「自分の見方に偏りはないだろうか」

も考える。

「自分の判断は正しい」

だけではなく、

「もし自分が間違っていたら、どこが間違っているだろう」

も考える。

つまり、自分自身の思考もまた、検証対象にできる。

これはかなり大きな違いだと思う。

自己像を守るための思考は、どこかで行き止まる

自分の考えを守るために思考していると、最初は強そうに見える。

自信がある。

意見が明確。

迷いがない。

何を聞いても答えが返ってくる。

けれど、その思考には一つ弱点がある。

結論が最初から決まっているからだ。

「自分が正しい」という前提を守るために理由を探している以上、新しい情報が入ってきても、結論を変える材料にはならない。

反対意見は反論する材料になる。

新しい情報は自説を補強する材料になる。

相手の違和感は、相手の問題として処理される。

そうなると、どれだけ考えているように見えても、思考は実は閉じている。

「自分が間違っているかもしれない」は、弱さではない

自分の考えを疑うことは、自信がないことではない。

むしろ、

「自分は間違っている可能性がある」

という状態に耐えられることは、一つの強さだと思う。

自分の自己像が少し崩れても、

「じゃあ、現実に合わせて作り直そう」

と思える。

「思っていたほど経験豊富ではなかったかもしれない」

「自分は人を見る目があると思っていたけれど、意外と先入観があったかもしれない」

「人の相談に乗るのが得意だと思っていたけれど、実はアドバイスをしたかっただけかもしれない」

そういう不都合な発見も受け入れる。

その繰り返しによって、自己像は現実に近づいていく。

考えるとは、自分を正当化することではない

思考とは、もっと不安定なものなのかもしれない。

「自分は正しい」と確認するためではなく、

「本当にそうなのか」と問い続けること。

自分の知識を披露するためではなく、

その知識によって自分の理解を深めること。

相手を自分の考えに従わせるためではなく、

「なぜこの人は自分とは違うのか」を理解すること。

そして何より、

自分自身を、自分にとって都合のいい物語の外側から眺めてみること。

それは、ときどき痛い。

自分が思っていたほど賢くないこともある。

思っていたほど優しくないこともある。

思っていたほど人を見る目がないこともある。

思っていたほど経験豊富ではないこともある。

けれど、その痛みを引き受けたところからしか、自己理解は始まらないのだと思う。

自分の考えを守るために思考するのか。

それとも、自分の考えを検証するために思考するのか。

同じ「よく考える人」に見えても、その二つはまったく違う。

そして、人と話していると、その違いは意外なほどよく見える。

本当に知的な人とは、たくさんのことを知っている人ではなく、自分の「分かっているつもり」さえ検証できる人なのかもしれない。


「この人、何を考えているのか分からない」ではなかった。
「もう、この人が何を考えているのか知りたいと思わない」だった。


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