「人生を組み替える」シリーズ|#04|40代、自由な時間をどう使うのか
5月から7月までは、仕事がなくても忙しかった
5月に仕事を辞めた。
5月はインドネシアへ旅行し、6月は毎日のようにヨガに通いながら、長距離の引っ越しもした。
7月は健康保険や失業給付などの行政手続きをしながら、九州、中国、関西、東海地方を旅行し、富士山にも登った。
振り返ってみれば、かなり動き回っている。
だから、この頃は「仕事を辞めたから暇」という感覚はあまりなかった。
ところが、8月に入ると、急に何もなくなった。
旅行も一段落し、行政手続きも落ち着いた。
仕事もない。
毎日、特別な予定もない。
規則正しい生活はしていたけれど、毎日が夏休みだった。
「毎日が夏休み」は、意外ときつい
最初は楽しかった。
好きな時間に起きて、好きなことをして、どこへでも行ける。
でも、しばらくすると、なんとなく毎日に張り合いがなくなってきた。
「今日は何をしよう」と考えることはあっても、「今日はこれをやらなければ」というものがない。
そして、ふと、
「私、なんで今日を生きるんだっけ?」
と思った。
働かなくても、当面は生活に困らない。
極端な話、生活費もそれほど大きくないため、今の資産を大きく取り崩さなければ、しばらく働かなくても生活できる。
もちろん、本当に生きることをやめたいという話ではない。
ただ、**「今日を生きる理由になるような目標がない」**のだ。
仕事のガソリンは「旅行」だった
そこで、これまでの自分を振り返ってみた。
私にとって、旅行は単なる趣味ではなかった。
仕事を頑張るためのガソリンだった。
「この仕事を頑張れば、次はあそこへ行ける」
「このくらい働いたら、また旅行に行こう」
そんなふうに、旅行が次の仕事を頑張るための楽しみになっていた。
でも、さらにその根っこには、「自由になりたい」という気持ちがあったのだと思う。
仕事をする。
お金を稼ぐ。
お金を貯める。
ある程度の資産をつくる。
そうすれば、仕事を辞めても生きていける。
つまり、私が欲しかったのは、お金そのものではなく、お金によって得られる自由だった。
そして、その自由を実感するもののひとつが旅行だった。
だから、
仕事 → 資産形成 → 自由 → 旅行 → また仕事を頑張る
という循環が、これまでの私の人生にはあったのだと思う。
「ある程度の資産」を達成したら、ガソリンがなくなった
問題は、その「ある程度の資産形成」という第一目標を、ある程度達成してしまったことだった。
もちろん、投資資産は増えるときもあれば、下がるときもある。
それでも、「これだけあれば、少なくとも当面は働かなくても生活できる」というところまで来ると、以前のような強烈な原動力はなくなった。
「お金がないから働かなきゃ」
「もっと貯めなきゃ」
「もっと自分の価値を高めなきゃ」
そうやって自分を動かしていたものが、突然弱くなった。
そして、そこで初めて気づいた。
私が仕事をしていた理由は、仕事そのものではなかった。
自由を手に入れるためだった。
そして、その自由を手に入れるための目標だった「ある程度の資産形成」を達成してしまった。
すると、仕事をする理由も、その仕事の先にある旅行の意味も、少しずつ薄くなっていった。
目的地に着いてしまったあと、どこへ向かえばいいのか分からなくなった。
それが、8月だった。
9月、生活に「やること」が戻ってきた
そんな8月を過ごして、9月から職業訓練が始まった。
ありがたいことに試験にも合格した。
朝起きて、準備をして、訓練に行く。
大工仕事の練習をする。
帰ってくる頃には疲れている。
まだ30℃を超える日が続く中、冷房のない部屋で作業することもあり、夜8時には眠くなるほどだ。
でも、不思議と心地いい。
「明日は何をするんだろう」があるからだ。
そして、ようやくやってきた土日には、訓練に必要なものを買いに行き、そのあと母とご褒美ランチを食べた。
これまで毎日が夏休みだったから、ご褒美ランチを食べる理由なんてなかった。
でも、この日は違った。
一週間頑張った。
だから今日は、ご褒美を食べてもいい。
罪悪感なく食べたご褒美ランチは、驚くほどおいしかった。
休みが嬉しいのは、休みではない日があるから
8月に「自由なのに、なぜか満たされない」という感覚を経験して、ようやく分かったことがある。
休みが嬉しいのは、休みではない日があるからだ。
ある程度やらなければならない仕事や予定があるからこそ、完全な休みの日が魅力的に輝く。
だからこそ、休日の朝、のんびりコーヒーを淹れる時間やうにと遊べる時間がとても貴重に感じる。
自由は大切だ。
お金があることで、仕事を辞める自由も、旅行する自由も、新しいことを学ぶ自由も手に入れられた。
でも、経済的な自由=人生の充実、ではなかった。
お金の不安が減ったら、今度は「じゃあ、私は何をしたいのか?」を自分で考えなければならなくなった。
8月は、人生に必要な「空白」だったのかもしれない
8月は、正直かなり廃人のような生活だった。
やることがない。
目標がない。
毎日が夏休み。
そして、
「私は何のために生きているんだろう」
なんてことまで考えた。
でも、今になってみると、この一か月があったことは悪くなかったのかもしれない。
これまで私は、「もっと頑張らなければ」と思って生きてきた。
お金を貯める。
自分の価値を上げる。
仕事をする。
旅行する。
また頑張る。
その循環から一度外れてみたことで、
「頑張ることそのものを人生の目的にしてはいけない」
ということに気づけたからだ。
「貯める」だけではなく、その先を考える
今回の職業訓練は、失業給付を受けながら通うことができる。
生活の不安をある程度抑えながら、新しい分野を学べることは、今の私にとってかなりありがたい。
投資資産は、調子が良いときには増えるけれど、下がるときは下がる。
だからこそ、一定の収入が確保されている状態で学べることには、資産額とは別の安心感がある。
これまでの私は、「どうやって資産を増やすか」を考えてきた。
これからは、「増やした資産と時間を使って、どんな人生をつくるのか」も考えていきたい。
仕事をしなくても生きていける。
それは人生のゴールではなく、選択肢が増えたということなのかもしれない。
「生きるために働く」から、
「どんなふうに生きたいから、何をするのか」へ。
9月から始まった職業訓練は、住宅を学ぶためだけではなく、私自身がもう一度、人生の次の目的地を探すための時間なのかもしれない。
8月という「毎日が夏休み」の一か月を通して、ようやく実感した。
9月、職業訓練が始まったことで、私は久しぶりに毎日の輪郭を取り戻した。
疲れる。
眠い。
でも、土日が嬉しい。
ご褒美ランチが嬉しい。
そして月曜日にまた訓練へ行く。
そんな当たり前の生活が、今はとてもありがたい。
人生は、自由になればなるほど幸せになるわけではない。
自分にとってちょうどいい「やること」と「休むこと」のバランスを、自分で組み直していく。
もしかすると、それもまた、
「生活を組み替える」
ということなのだと思う。
そろそろ金髪をやめようと思っていた。
ところが我が家には、この決断を全力で邪魔してくる小さな茶トラがいる。
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仕事、暮らし、学び方――40代、これからの人生を自分で選び直していく。
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