「人生を組み替える」シリーズ|#03|40代、自由な時間をどう使うのか
仕事を辞めた。
住む場所も変えた。
これまで会社に合わせていた生活から離れて、時間はかなり自由になった。
最初は、それが嬉しかった。
もう、朝早く起きて出勤しなくてもいい。
平日に旅行へ行ってもいい。
昼間から映画を観てもいい。
何も予定がなければ、昼寝をしてもいい。
実際、仕事を辞めてからしばらくは、旅行や引っ越しなどでかなり忙しく過ごしていた。
ところが、ひと通り落ち着いた8月。
私は今、かなり暇である。
いや、「かなり」どころではない。
暇すぎる。
そして、そんな自分に少し驚いている。
- 仕事を辞めたら、時間はいくらでもあると思っていた
- 8月になって、急に暇になった
- ふと、小学生の頃の夏休みを思い出した
- 「暇だから働こう」とは、なぜか思わない
- どうやら私は「自由」だけを求めていたわけではなかった
- そして、田舎の生活にもまだ慣れていない
- 「歩いているだけで面白い」という環境がなくなった
- しかも、夏が暑すぎる
- 家族みんな暇なのに、それぞれやることが違う
- うにのお世話が、私の「仕事」だった
- そして、その「滅菌ミッション」まで終わった
- 「暇」は、やることがないこととは少し違う
- 次の生活が始まるかどうかも、まだ分からない
- 私は、自由時間の使い方をまだ練習している
- 「暇すぎる」から、見えてきたこと
- 人生を組み替える途中には、「暇」もある
- 45歳になっても、小学生の夏休みと同じことをしている
仕事を辞めたら、時間はいくらでもあると思っていた
仕事をしている頃は、いつも時間が足りなかった。
平日は仕事。
休日は家事や用事や趣味。
それでも、旅行に行きたい。
映画も観たい。
本も読みたい。
ヨガにも行きたい。
ブログも書きたい。
「もっと時間があれば、いろいろできるのに」
ずっとそう思っていた。
だから仕事を辞めたとき、私はきっと毎日が充実するのだと思っていた。
時間は自分のものになる。
好きなことを好きなだけできる。
そんな生活を、どこかで期待していた。
実際、最初のうちは楽しかった。
旅行にも行った。
山にも登った。
温泉にも行った。
ヨガにも通った。
仕事をしていた頃にはなかなかできなかったことを、いろいろやった。
でも、ずっとそれを続けていられるわけではない。
予定がなくなってくると、少しずつ気づき始めた。
「あれ。今日、何をしよう?」
8月になって、急に暇になった
7月は、かなり動き回っていた。
引っ越しもあった。
行政の手続きもあった。
旅行にも行った。
下関や門司、小倉、山口、博多方面へ出かけ、その後は関西や東海方面にも行った。
新幹線に乗ったり、電車に乗ったり、知らない街を歩いたり。
そういう生活をしている間は、「暇」という感覚はほとんどなかった。
ところが、7月末に戻ってきてから、状況が変わった。
予定がなくなった。
そして8月になった。
9月からは職業訓練が始まる。
それまでは、しばらく時間がある。
その結果、現在の私の一日は、かなりの確率でこうなっている。

うにと遊ぶ。
昼寝する。
映画を見る。
また、うにと遊ぶ。
そして夜になる。
……以上。
もちろん、ブログを書いたり、いろいろ考えたりすることもある。
でも、基本的にはそんな感じだ。
毎日が夏休みである。
ふと、小学生の頃の夏休みを思い出した
そんなある日、昔のことを思い出した。
小学生の頃の夏休みも、私は毎日暇だった。
夏休みが始まったばかりの頃は嬉しい。
学校に行かなくていい。
朝も早く起きなくていい。
自由だ。
でも、何日かすると、
「今日、何したらいいんだろう」
となる。
そして、気がつけば夏休みの終わりが近づいている。
すると今度は、
「宿題、まだ終わってない」
と焦り始める。
思えば私は、昔からそうだったのかもしれない。
自由な時間が嫌いなのではない。
ただ、自由すぎる時間を、自分でうまく設計するのが得意ではないのだ。
45歳になった今も、どうやらそこはあまり変わっていないらしい。
「暇だから働こう」とは、なぜか思わない
面白いのは、こんなに暇なのに、
「じゃあ仕事を探そう」
とは、今のところあまり思わないことだ。
失業給付を受けていることもある。
これまで築いてきた投資資産もある。
もちろん、資産は相場次第で変動するし、今後ずっと増え続ける保証もない。
それでも以前より、「今すぐ生活のために働かなければ」という切迫感が弱くなっているのは確かだ。
だから、
働きたくない。
でも、
暇すぎる。
この二つが同時に存在している。
以前なら、
「暇なら働けばいい」
で済んだのかもしれない。
でも今は、そう簡単ではない。
せっかく時間を自由に使える状況になったのだから、暇を埋めるためだけに仕事を選ぶのは、少し違う気がしている。
どうやら私は「自由」だけを求めていたわけではなかった
ここで、前の記事に書いたことを思い出した。
私は「働かない人生」が欲しいわけではなかった。
仕事を辞めてみて分かったのは、どうやら私は単純に「自由な時間」が欲しかったわけでもないということだった。
仕事をしていた頃は、時間が足りなかった。
だから自由になりたかった。
でも、自由になってみると、今度は時間が余る。
そこで初めて気づく。
欲しかったのは、
自由そのものではなく、自由に使える時間の中で、自分がやりたいことを見つけることだったのかもしれない。
これは、思っていたより難しい。
そして、田舎の生活にもまだ慣れていない
もう一つ、今の「暇」に関係していると思うことがある。
私は今年、住む場所を変えた。
これまで住んでいた場所では、電車や新幹線を使って移動する生活に慣れていた。
駅まで歩く。
電車に乗る。
目的地で降りる。
そこからまた歩く。
途中で気になる店があれば入る。
カフェを見つけたら休む。
本屋があれば寄る。
そんなことが、特別なことではなかった。
ところが、今は車中心の生活だ。
地方では、ちょっとした移動にも車が必要になる。
私はもともと、車の運転がそこまで好きではない。
だから、
「ちょっと出かけよう」
というハードルが、以前より高くなった。
「歩いているだけで面白い」という環境がなくなった
都会にいた頃は、目的がなくても外へ出られた。
街を歩いているだけで、いろいろなものが目に入る。
知らない店。
新しいカフェ。
人の流れ。
建物。
駅。
公園。
イベント。
「今日はどこへ行こう」と考えなくても、外に出れば何かしら起こる。
ところが、今はそういうわけにはいかない。
どこかへ行くなら、まず目的地を決める。
車を出す。
運転する。
駐車する。
そして帰る。
それが嫌なわけではない。
地方には地方の面白さがある。
ただ、これまでとは違う生活の仕組みなのだ。車があることが前提で成り立っているシステム。
そして私は、まだその生活やシステムに慣れている途中なのだと思う。
しかも、夏が暑すぎる
さらに今年の夏は、とにかく暑い。
外を歩くこと自体が、かなりの負担になる。
散歩をするなら、早朝か日が暮れてから。
昼間に「ちょっと歩いてみよう」とは、なかなかならない。
以前なら、
「ちょっと街を歩いてみよう」
で済んでいたことが、今はそう簡単にはできない。
暑い。
車が必要。
歩いても楽しい場所がすぐ近くにあるわけではない。
山はあるが、毎日登るのはさすがにしんどい。
こうして考えると、私の暇には、単純に予定がないというだけではなく、
「気軽に外へ出るための環境が変わった」
ということも関係しているのだと思う。
家族みんな暇なのに、それぞれやることが違う
今は、私が借りた一人暮らしの家ではなく、車で1時間ほどのところにある実家にしばらく滞在している。
そして今の私の生活を考えると、もう一つ気づくことがある。
家にいるのは、私だけではない。
両親もいる。
二人とも仕事を退職していて、元気ではあるけれど、毎日これといって予定があるわけではない。
旅行や遠出を頻繁にするわけでもない。
だから、両親もかなり暇そうだ。
私も暇。
両親も暇。
三人とも時間はある。
でも、だからといって、三人で毎日楽しく遊んでいるわけでもない。
なんだか不思議な状態である。
家事についていえば、母がかなりやってくれている。
料理は母の担当だ。
もともと料理が上手なので、私が作るより母が作ったほうが美味しい。
洗面所やトイレなど、細かな水回りの掃除も母がやっている。
父も洗濯をしたり、ときどき皿を洗ったり、買い出しをしたりする。
私は洗濯物を干したり畳んだり、食器を洗ったりする程度だ。
だから、「実家に帰って家事をさせられている」というほどではない。

うにのお世話が、私の「仕事」だった
そして、これまでの私は、家事以外にもかなりやることがあった。
うにが来てからは、うにの身の回りの世話がある。
ご飯や水の管理。
体調の観察。
健康状態のチェック。
動物病院への通院。
ワクチンのことを考えたり、薬や予防の管理をしたり。
そして、うには糸状菌があると聞いていた。
そのため、しばらくはかなり神経を使っていた。
うにがいる部屋を掃除する。
うにが触れる場所をコロコロする。
洗濯する。
ほぼ毎日のように、できる範囲で滅菌や清掃をする。
うにがうろうろする2部屋については、特に気をつけていた。
これが結構な「仕事」だった。
仕事を辞めた私にとって、うにの世話は、毎日の生活の中にある大切な役割でもあった。
そして、その「滅菌ミッション」まで終わった
ところが昨日、うにのワクチンをお願いするためにクリニックへ行った。
そこで獣医師に、以前から気になっていた糸状菌についても診てもらった。
すると、どうやらもう治っているようだった。
もちろん、今後も様子を見る必要はあると思う。
でも、これまでかなり気を遣っていた毎日の滅菌や清掃の負担が、一段落した。
うにが元気になったことは、もちろん嬉しい。
本当に嬉しい。
でも、その一方で、
「あれ、また一つやることがなくなった」
とも思った。
うにの健康管理はこれからも続く。
ご飯もあげる。
遊ぶ。
トイレも掃除する。
成長を見守る。
でも、以前のような「毎日やらなければ」という緊張感のある仕事は減った。
こうして考えてみると、私は暇になったというより、
一つずつ「やらなければならないこと」がなくなっている
のかもしれない。

「暇」は、やることがないこととは少し違う
仕事をしているときは、やることが多すぎた。
仕事を辞めた直後も、引っ越しや行政手続きがあった。
旅行をしている間は、移動する場所があった。
うにが来てからは、うにの世話があった。
そして今、その一つ一つが終わってきた。
引っ越しは終わった。
行政手続きも一段落した。
旅行も終わった。
うにの糸状菌への対応も、どうやら大きな山を越えた。
そして、まだ次の生活は始まっていない。
だから、ぽっかりと時間が空いている。
そう考えると、今の「暇」は、単純に怠けているから生まれたものではないのかもしれない。
次の予定が始まるまでの、空白なのだ。
次の生活が始まるかどうかも、まだ分からない
そして、実は9月からのことも、まだ完全には決まっていない。
住宅について学ぶ職業訓練に申し込んでいる。
通えることになれば、9月から新しい生活が始まる。
朝起きる時間が決まり、通う場所ができる。
人と会う。
授業を受ける。
新しいことを覚える。
課題も出てくるだろう。
そうなれば、今の「暇すぎる」という生活は、かなり変わるはずだ。
ただ、それも来週にならないと、実際に通えることが確定しない。
つまり今の私は、
「次の生活が始まる予定はある。でも、まだ始まることが確定していない」
という、なんとも宙ぶらりんな状態にいる。
だから余計に、毎日が長く感じるのかもしれない。
私は、自由時間の使い方をまだ練習している
小学生の頃の夏休み。
何をしていいか分からず、最後になって宿題を始める。
45歳になった今。
仕事を辞めて自由になったのに、何をしていいか分からず、また暇を持て余している。
考えてみれば、少し笑える。
でも、もしかするとこれは、私にとって大事な練習なのかもしれない。
これまでの私は、学校や仕事という「時間割」にかなり助けられてきた。
起きる時間が決まっていて。
行く場所が決まっていて。
やることが決まっていて。
その合間に、自分の時間を楽しめばよかった。
これからは、それだけではない。
自分で時間を作り、自分で予定を決め、自分で「今日はこれをした」と思える一日を作っていかなければならない。
「暇すぎる」から、見えてきたこと
仕事を辞めてみて分かった。
私は、働かなくても生活できる状態になれば、それだけで満足できるわけではなかった。
旅行も楽しい。
映画も楽しい。
昼寝も楽しい。
うにと遊ぶのも楽しい。
でも、それだけを毎日繰り返していると、やっぱり何かが足りなくなる。
人と会いたい。
知らない場所へ行きたい。
何かを学びたい。
何かを作りたい。
少し先の自分につながることをしたい。
たぶん私は、自由な時間そのものが欲しかったのではない。
「自分で選んだことに時間を使っている」という感覚が欲しかったのだと思う。
人生を組み替える途中には、「暇」もある
仕事を辞めた。
住む場所を変えた。
これから住宅について学ぶ。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
今は、その間にある空白の時間だ。
少し退屈で。
少し孤独で。
ときどきイライラして。
でも、以前なら「仕事をすればいい」と考えていたところを、今は少し立ち止まって考えられる。
「私は、本当は何をしているときが楽しいんだろう」
「どんな一日を過ごしたいんだろう」
「どんな人と関わっていたいんだろう」
その答えは、まだ出ていない。
だから今は、とりあえず暇でいいのかもしれない。
9月からまた生活が動き始める。
それまでの間、うにと遊んで、映画を見て、たまにはどこかへ出かけて。
そして、暇すぎる自分を少し観察してみようと思う。
もしかすると、この「暇」の中にこそ、これからの人生で本当に欲しいものが隠れているのかもしれない。
人生を組み替えるということは、仕事を辞めることでも、住む場所を変えることでもない。
自分がどんな一日を送りたいのかを、少しずつ知っていくことなのかもしれない。
45歳になっても、小学生の夏休みと同じことをしている
ふと、昔のことを思い出した。
小学生の頃の夏休みも、私は毎日暇だった。
夏休みが始まったばかりの頃は嬉しい。
朝から学校へ行かなくていい。
好きな時間に起きていい。
でも、何日かすると、
「今日、何したらいいんだろう」
となる。
そして気がつけば8月の終わり。
「宿題、まだ終わってない」
と焦り始める。
今思えば、私は昔から、完全に自由な時間を上手に使えるタイプではなかったのかもしれない。
45歳になった今も、どうやら同じらしい。
仕事を辞めて、自由になった。
旅行もした。引っ越しもした。好きなこともした。
なのに、8月に入ると突然、毎日がつまらなくなった。
「お金のために働かなくてもいい」は、必ずしも「幸せに生きられる」と同じではなかった。
次回は、そんな「毎日が夏休み」だった8月を振り返ります。
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住む場所も、働き方も、これからの人生も組み替えている途中で、私は婚活まで始めてしまった。
「今さら婚活?」と思われるかもしれない。
私自身も、少し思う。
でも、人生を組み替えるなら、パートナーについても一度くらい考えてみてもいい。
そう思ってマッチングアプリを始めた。
そして、実際に一人の男性と会ってみて、思いがけないことに気づいた。
私は「どんな人と結婚したいか」より先に、「どんな人と一緒にいると、自分が疲れるのか」を知ることになった。
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