「え?」を飲み込むということ|共感と距離⑲

共感と距離の間

「共感と距離のあいだ」シリーズ 第19回

この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。


「え?」と思ったのに、私は何も言わなかった

人と話していると、ときどき小さな違和感を覚えることがある。

「え?」

と思う。

でも、その「え?」は、必ずしも口から出てくるわけではない。

「まあ、いいか」

「わざわざ言うほどでもないか」

「ここで話を止めるのも面倒だな」

そうやって、その場では飲み込んでしまう。

そして普通に会話を続ける。

相手から見れば、何も問題は起きていない。

こちらも、その瞬間は「まあいいや」と思っている。

ところが。

飲み込んだ「え?」は、なぜか後から戻ってくる。


「なんか嫌だった」の正体

帰宅してから、ふと思い出す。

「あのとき、なんであんなことを言ったんだろう」

「私は、あの言葉の何が嫌だったんだろう」

その場ではたいしたことだと思わなかったのに、時間が経つほど引っかかってくる。

そして、頭の中で会話を再生してしまう。

「あのとき、こう言えばよかった」

「いや、でも、あれはちょっと失礼だったよな」

「やっぱり、あそこで言えばよかった」

そんなことを何度も考える。

たぶん私は、相手の言葉そのものだけに傷ついているわけではない。

自分が感じた違和感を、その場でなかったことにしてしまったことにも、引っかかっているのだと思う。


なぜ、その場では言わないのか

もちろん、何でも思ったことを口にすればいいわけではない。

人間関係には、言わないほうがいいこともある。

相手を傷つけないために、言葉を選ぶことも必要だ。

初対面ならなおさらだ。

「今ここで言ったら、話がややこしくなりそうだな」

「この人はどう反応するだろう」

「反論されて、そこから長い話になったら嫌だな」

そんなことを考えているうちに、

「まあ、今回はいいか」

となる。

だから、違和感を飲み込むこと自体が悪いわけではない。

むしろ、大人として必要な場面もある。

問題は、

飲み込んだ違和感が、自分の中で処理されたわけではないことがある

ということだ。


「言わない」と「納得する」は違う

これは、意外と大きな違いなのかもしれない。

私は何も言わなかった。

でも、それは、

「納得した」

という意味ではない。

「まあ、そういう考え方もあるよね」

と受け入れたわけでもない。

ただ、

「今は言わないことにした」

だけだった。

ところが、その区別を自分でも曖昧にしてしまう。

「何も言わなかったんだから、気にするほどのことではなかったのだろう」

と思おうとする。

でも、心はそんなに簡単ではない。

頭では流したつもりでも、

「あの言い方、嫌だったな」

という感覚は残っている。


「え?」は、境界線のサインなのかもしれない

最近は、この「え?」を少し大切にしてもいいのではないかと思っている。

もちろん、

「え?」

と思ったからといって、すぐに相手を嫌いになる必要はない。

相手が間違っているとも限らない。

自分の受け取り方の問題かもしれない。

単なる言葉の行き違いかもしれない。

だからこそ、

「え?」と思った瞬間に白黒をつける必要はない。

ただ、

「私は今、何に引っかかったんだろう」

と、一度立ち止まってみる。

それだけでいい。


違和感は、すぐに結論にしなくてもいい

私はどうやら、物事をすぐに白黒つけるより、

「まだ分からない」

という状態を残しておきたい人間らしい。

「あの人は嫌な人だ」

と決める必要はない。

「私が悪かった」

と決める必要もない。

ただ、

「私はあの言葉が嫌だった」

「私はあの場面で少し緊張した」

「私はあの会話で疲れた」

そこまで分かれば十分なのかもしれない。

相手を裁く必要はない。

自分を責める必要もない。

ただ、自分の中に起きたことを、そのまま置いておく。

それもひとつの「グレー」なのだと思う。


そして、距離を決める

人間関係で大切なのは、相手を好きか嫌いかだけではない。

「この人とは、どのくらい近くにいたいか」

という距離もある。

何となく疲れるなら、少し距離を置く。

話すと楽しい部分もあるなら、その部分だけ楽しむ。

一緒にいると安心できるなら、もう少し近づいてみる。

違和感が何度も続くなら、離れることを考える。

そうやって、少しずつ距離を決めていけばいい。

一度の「え?」で人を判断しなくてもいい。

でも、

何度も続く「え?」を無視し続けなくてもいい。

その間にあるのが、私にとっての「共感と距離」なのだと思う。


「言わなかった自分」を責めなくていい

そして、もう一つ大切なのは、

「どうしてあのとき言えなかったんだろう」

と、自分を責めないことだと思う。

その場で言えなかったのには、それなりの理由がある。

相手との関係を壊したくなかった。

その場を穏便に終わらせたかった。

相手の反応が怖かった。

説明することに疲れそうだった。

あるいは、自分自身がまだ何に引っかかっているのか分からなかった。

それなら、その場で言えなくても仕方がない。

そのときの自分は、そのときの自分なりに、自分を守っていたのだと思う。


「え?」を飲み込んだあとに、自分の声を聞く

大切なのは、その場で完璧に自分の気持ちを伝えることではない。

むしろ、

その場で飲み込んだ「え?」を、あとから自分だけは聞いてあげること

なのかもしれない。

「あれ、私は嫌だったんだな」

「ちょっと怖かったんだな」

「本当は、あそこではこう言いたかったんだな」

そうやって自分の感覚を確認する。

それだけでも、少し違う。

相手に伝えなかったとしてもいい。

関係を切らなくてもいい。

すぐに結論を出さなくてもいい。

ただ、

「私は、あのとき確かに『え?』と思った」

という事実だけは、自分の中でなかったことにしない。


小さな「え?」を大切にする

人との距離は、劇的な出来事だけで決まるわけではない。

むしろ、

「なんか疲れた」

「ちょっと嫌だった」

「なぜか安心できなかった」

「今の言葉、少し引っかかった」

そんな小さな感覚の積み重ねで決まっていくのかもしれない。

だから私は、これからは「え?」と思ったときに、すぐに答えを出すのではなく、

「私は今、何に引っかかったんだろう」

と、一度立ち止まってみたい。

その「え?」が単なる勘違いなら、それでもいい。

時間が経てば消えるかもしれない。

でも、何度も同じところで「え?」と思うのなら。

そのときは、少しだけ距離を考えてみてもいい。

違和感は、相手を裁くためのものではない。

もしかすると、

自分がどこまでなら安心して近づけるのかを教えてくれる、小さなサインなのかもしれない。

そして私は、そんな小さなサインを、もう少し自分で聞いてあげてもいいのだと思う。


でも、ここで一つ気になることが残った。

相手は、決して「嫌な人」ではなかった。
それなのに、私はなぜ、あんなに疲れたのだろう。

会話をしている間、私はずっと相手の反応を考え、言葉を選び、話の流れを追っていた。

もしかすると、私はただ「よくしゃべる人」に疲れたのではない。
その人と話している間、ずっと自分の脳を働かせ続けていたのかもしれない。

「いい人なのに、なぜか疲れる」

そんな人には、いったいどんな特徴があるのだろう。


▶「共感と距離のあいだ」シリーズ 全話一覧はこちら


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