「よくしゃべる人」と「会話が深い人」は違う|人生を組み替える|婚活編⑤

人生を組み替える

人生を組み替える|婚活編 第5話

彼は、よくしゃべった。

ものすごくしゃべった。

だから、会った直後は、

「今日はいっぱい話したな」

と思った。

話題も多かったし、会話が途切れることもなかった。

沈黙が気まずくなることもない。

むしろ、こちらが何か話せば、すぐに話を展開させてくれる。

一見すると、コミュニケーション能力が高い人なのだと思う。

でも、帰宅してみると、残っていたのは妙な疲労感だった。

そして、少し考えてみた。

私は今日、この人のことをどれくらい知ったんだろう。

この人は、私のことをどれくらい知ったんだろう。

すると、少し不思議なことに気づいた。

会話の量は多かったのに、相互理解が深まった感じがしなかった。

会話は止まらない。でも、どこにも一緒に辿り着かない

話題は次々に変わった。

一つの話を少し掘り下げようとすると、別の話へ移る。

私が何かを話す。

すると、それをきっかけに相手が自分の経験や知識を話す。

そして、その話からまた別の話題へ。

会話は止まらない。

むしろ、ずっと動いている。

だから、その場では「会話が弾んでいる」と感じる。

でも、帰ってから思い返してみると、

「結局、何を話したんだろう」

となる。

話題はいくつもあった。

笑った場面もあった。

知らないことを教えてもらったりもした。

なのに、二人の間に何かが積み重なった感覚がない。

たくさんの話をしたはずなのに、二人で一つのことを考えた時間がほとんどなかったのだと思う。

「聞く」と「自分の話につなげる」は違う

ここで、私は「会話が上手な人」について少し考えるようになった。

相手の話を聞いて、

「それ、僕もこういう経験があって」

と自分の話につなげる。

これは、一見すると「ちゃんと話を聞いている」ように見える。

でも、必ずしもそうではない。

相手の話を聞いたあと、

「それって、どういうときにそう思ったんですか?」

「そのときはどんな気持ちだったんですか?」

「今でもそう思います?」

と、一度こちらの話の中に留まってくれる人もいる。

その違いは小さく見えるけれど、実際に話しているとかなり大きい。

前者は、相手の話を自分の話をするための入口にしている。

後者は、相手の話をもう少し理解しようとしている。

どちらも会話は続く。

でも、会話の方向が違う。

深い会話には、「立ち止まる時間」がある

深い会話というのは、必ずしも難しい話をすることではないと思う。

政治や哲学について語り合わなくてもいい。

むしろ、

「なんでそれが好きなの?」

「それって、昔から?」

「そのときはどう思った?」

そんな小さな問いから、思いがけず話が深くなることがある。

そのためには、話題を次々に進めるのではなく、一つの話の中に少し留まる必要がある。

相手が話したことを受け取る。

少し考える。

自分の中で感じたことを返す。

そして、相手の返事をまた受け取る。

そうやって、一つの話を二人で少しずつ育てていく。

私はたぶん、そういう会話が好きなのだと思う。

話題が多いことより、一つの話を一緒に深められること。

それが私にとっての「会話が深い」ということなのだ。

会話の中で見ていたのは、「話術」ではなかった

婚活をしていると、

「会話が続く人」

「話題をたくさん持っている人」

「コミュニケーション能力が高い人」

というのは、一般的にはかなり好印象だと思う。

もちろん、それ自体は悪いことではない。

沈黙が苦手な人にとっては、話題を提供してくれる相手はありがたいだろう。

私も、会話がまったく続かない人よりは、ある程度会話をリードしてくれる人のほうが楽だと思う。

でも、今回気づいた。

私が見ていたのは、「どれだけ話せるか」ではなかった。

むしろ、

「私の話をどう扱う人なのか」

だった。

私が話したことを、そのまま受け取るのか。

自分の経験にすぐ置き換えるのか。

興味を持ってもう一歩聞いてくれるのか。

あるいは、私の言葉から何かを感じ取って、自分の考えを返してくれるのか。

そういうところを、私は無意識に見ていたのだと思う。

「会話をする」と「会話を一緒につくる」は違う

ここが、今回いちばん大きな発見だった。

会話には、一人で成立させられるものがある。

一人がどんどん話す。

相手が相槌を打つ。

質問をする。

また話す。

これでも、会話としては成立する。

でも、私が求めていたのは、それではなかった。

二人で会話をつくること。

私が話す。

相手が受け取る。

相手が返す。

私がまた受け取る。

そこでまた少し考えが変わる。

その変化を相手が受け取って、さらに返してくる。

そうやって、最初にはなかった考えや理解が、二人の間に生まれていく。

それは「会話が上手」というのとは少し違う。

むしろ、相手と一緒に考えられる人なのだと思う。

「盛り上がった」と「つながった」は違う

たぶん、私はこれまで「会話が盛り上がる」ということを、少し過大評価していた。

笑いが多い。

話題が多い。

沈黙がない。

次から次へと話が出てくる。

こういう状態になると、

「今日は楽しかった」

「会話が弾んだ」

と思いやすい。

でも、その後に残るものは人によって違う。

「楽しかった」という感覚だけが残る人もいる。

一方で、

「この人、こういうことを考える人なんだな」

「こんなことを大切にしているんだな」

「自分のことも少し理解してもらえた気がする」

という感覚が残る人もいる。

前者は、楽しい会話だったのかもしれない。

後者は、相互理解が生まれた会話なのだと思う。

そして私は、婚活で後者を求めていた。

婚活で知りたかったのは、「どれだけ話せる人か」ではなかった

婚活では、プロフィールを見て、実際に会って、話してみる。

そのとき私たちは、つい「楽しく話せたか」を判断基準にする。

もちろん、それも大事だ。

でも、それだけでは分からないことがある。

この人は、人の話をどう聞くのか。

自分と違う意見が出たとき、どうするのか。

一つの話題をどこまで一緒に考えられるのか。

相手の言葉を、自分の話をするためだけに使わないか。

そして何より、

「自分が話す」だけではなく、「二人の間に何かを生み出す」ことができるのか。

私はたぶん、そこを見ていた。

だから、ものすごくよくしゃべる人と会ったあとに、なぜか疲れた。

「話すのが嫌だった」わけではない。

「話がつまらなかった」わけでもない。

ただ、会話の中で私は、相手と一緒にいるというより、相手の話を受け止め続けていたのかもしれない。

私が欲しかったのは、「会話の相手」だった

考えてみれば、私は「話し上手な人」が欲しかったわけではない。

「話題が豊富な人」が欲しかったわけでもない。

ましてや、「沈黙を埋めてくれる人」が欲しかったわけでもない。

私が欲しかったのは、

会話を一緒につくれる人。

私が話したことを受け取ってくれて、

相手が感じたことを返してくれて、

そこからまた私が考えて、

また相手が返してくれる。

そういうやり取りができる人だったのだと思う。

会話は、キャッチボールに似ている。

どちらか一方がボールを投げ続けても、キャッチボールにはならない。

どれだけ速く投げても、

どれだけたくさん投げても、

相手に渡らなければ、二人の間には何も生まれない。

だから私は、これから誰かと会うとき、

「この人は、どれだけ話せる人なんだろう」

ではなく、

「この人と私は、どんな会話をつくれるんだろう」

と考えてみたい。

会話が盛り上がったことと、相手と深くつながったことは、同じではない。

たくさん話したことと、たくさん理解し合えたことも、同じではない。

そして、私が婚活で知りたかったのは、

相手がどれだけ話せる人なのかではなく、

私とどんなふうに会話をつくれる人なのか

だったのかもしれない。


ところで、もう一つ気になったことがある。

40〜50代の男性のプロフィールを見ていると、「今すぐにでも結婚したい」という人が意外と多い。

なぜ、人生の後半に差しかかった男性は、再婚をそんなに急ぐのだろう。

その背景には、恋愛だけではなく、「孤独」という別の問題があるのかもしれない。


「人生を組み替える」シリーズ|全話はこちら
仕事、暮らし、学び方――40代、これからの人生を自分で選び直していく。


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