「人生を組み替える」シリーズ
USBの中の、若い私
職業訓練で、「USBメモリを持ってきてください」と言われた。
家にあったものを探して、古いUSBを一つ持っていくことにした。
ずいぶん前から使っているものだから、中には昔の写真がいろいろ入っている。
普段なら、わざわざ開こうとは思わない。
けれど、久しぶりにパソコンにつないでみると、そこにはずいぶん昔の私がいた。
今より細くて、肌が白くて、若い。
そして、今より少し、何も知らない顔をしている。
写真の中の私は、こちらを見て笑っていた。
「ああ、こんな顔だったな」
と思った。
自分の顔なのに、少し他人行儀な気がした。
その隣に、男が写っていた
写真の中には、当時付き合っていた男もいた。
私はその人と、五年付き合っていた。
五年というのは、今考えるとかなり長い。
付き合い始めたころの私は、まだ若かった。
その人と、この先もずっと一緒にいるのかもしれないと思っていた時期もあった。
けれど、私は南米へ行くことになった。
すると彼は、
「じゃあ、別れる」
と言った。
海外へ行くなら別れる。
それだけのことだった。
今なら、ずいぶん簡単な話だと思う。
でも、そのときは五年分の時間がある。
五年付き合った人と別れるということは、五年分の自分とも別れることだったのかもしれない。
あの頃の私は、結婚していなかった
写真の中の私は、まだ若い。
そして、結婚していない。
その後も結婚しなかった。
45歳になった今も、独身である。
人生というのは、後から見ると妙なものだ。
その時々では、それなりに真剣に選んでいるのに、あとから振り返ると、まるで最初から決まっていた道を歩いてきたようにも見える。
でも、実際にはそうではない。
海外へ行くことも、仕事をすることも、辞めることも、人と別れることも、そのたびに自分で決めてきた。
ただ、結婚だけは、自分一人では決められなかった。
自分の努力だけでは、どうにもならない
仕事なら、自分が頑張ればある程度はどうにかなる。
勉強する。
資格を取る。
経験を積む。
嫌なら転職する。
それでも駄目なら、別の道を探す。
少なくとも、自分の努力が結果に影響する。
けれど、婚活は違う。
自分がどれだけ身なりを整えても、プロフィールを書き直しても、写真を撮り直しても、メッセージを丁寧に返しても、
相手が自分を好きになるかどうかは、自分では決められない。
そして、もっと難しいのは、相手が自分を好きかどうかだけではない。
自分も、その人を好きにならなければならない。
さらに、お互いに一緒にいたいと思わなければならない。
価値観が違っても、片方だけが我慢する関係にならなければいい。
仕事も、旅行も、食べるものも、暮らし方も。
「あなたはそうしたいのね。私はこうしたい」
と言える関係ならいい。
そのうえで、ときどき一緒にできればいい。
これは、努力だけでは作れない。
「45歳で独身なんて、なんかあると思った」
今年の夏、婚活で知り合った男性と実際に会った。
その人から、
「45歳で独身なんて、なんかあると思った」
と言われた。
私は、その言葉を聞いて思った。
45年間の人生を知らない人に、ずいぶん簡単な採点をするものだな、と。
写真の中の若い私は、まだ45歳になっていない。
その後の人生を知らない。
海外へ行くことも知らない。
仕事を辞めることも知らない。
今、職業訓練に通っていることも知らない。
猫と暮らすことも知らない。
いろいろな人と出会って、別れて、旅行をして、働いて、失敗して、また選び直してきたことも知らない。
それなのに、最後の一行だけを見て、
「なんかある」
と判定する。
人の人生は、履歴書の最後の欄だけではない。
「何かある」のは、どちらなのだろう
もちろん、45歳まで独身だった理由は人それぞれだ。
結婚したくなかった人もいる。
したかったけれど、縁がなかった人もいる。
一度結婚して別れた人もいる。
仕事を優先した人もいる。
家族のことがあった人もいる。
恋愛をして、別れて、また恋愛をして、そのうち一人で暮らすのが楽になった人もいる。
私も、その全部のどれか一つではない。
いくつものことが重なって、今ここにいる。
だから「45歳で独身」という事実だけから、その人の人格まで推測する人を見ると、少し不思議に思う。
そして、ふと思う。
「45歳で独身だから、何かある」と考える人には、何もないのだろうか。
人間は、みんな何かある。
長く生きていれば、なおさらだ。
USBの中の私は、何も知らない顔をしていた
もう一度、写真を見た。
若い私が笑っている。
その隣には、五年間付き合った男がいる。
あの二人が、その後どうなるのか。
写真の中の二人は知らない。
南米へ行くことも。
別れることも。
仕事をすることも。
いろんな男と出会って、うまくいかなかったことも。
45歳になって、「なんかある」と言われることも。
もちろん、私自身も知らなかった。
人生なんて、そんなものなのだろう。
そのときは、そのときの自分しか知らない。
私は、若い頃の自分を捨ててきたわけではない
婚活をしていると、ときどき年齢を意識させられる。
45歳。
若くはない。
これは事実だ。
けれど、45歳になったからといって、20代や30代の自分が消えるわけではない。
USBの中には、ちゃんと残っている。
細くて、白くて、若くて、可愛かった私。
恋愛をしていた私。
海外へ行こうとしていた私。
何かを選ぶたびに、何かを失ってきた私。
その全部が、今の私につながっている。
だから私は、45歳の自分を「若い頃より価値が下がった自分」とは思っていない。
ただ、若い頃とは違う。
我慢できることが減った。
自分が本当に嫌なことも、少し分かるようになった。
そして、自分が好きなものを、もう簡単には手放したくない。
婚活は、努力の通知表ではない
婚活をしていると、
「もっと努力しなければ」
と思ってしまう。
写真を変える。
プロフィールを工夫する。
たくさん会う。
条件を見直す。
自分磨きをする。
もちろん、できることはある。
でも、それをやったからといって、必ず誰かと出会えるわけではない。
婚活は、努力の通知表ではない。
「これだけ頑張ったから、結婚一つ」
と交換できるものでもない。
相手にも人生がある。
相手にも好みがある。
相手にも事情がある。
そして、自分にもある。
二人分の人生が、偶然うまく重なる必要がある。
それは、どんなに頑張っても、自分一人では完成させられない。
だから、少し休んでもいい
私は今、婚活アプリをやめている。
以前なら、「このままでいいのかな」と思ったかもしれない。
45歳なのだから、急がなければ。
今のうちに。
誰かを探さなければ。
そんなふうに思うこともあった。
でも、今は職業訓練に通っている。
知らなかったことを習っている。
家に帰れば、うにがいる。
休みの日には、のんびりしたり、どこへ行こうか考える。
そういう生活が、普通に楽しい。
だったら、婚活をしていない自分を、わざわざ失敗者にする必要はない。
それでも、誰かと食べたいものはある
一人で生きられることと、一人がいいことは、同じではない。
美味しいものを食べたとき、
「これ、おいしいね」
と言える相手がいたらいいと思う。
旅行先で、
「ここ、面白いね」
と言える人がいたらいい。
一日の終わりに、どうでもいい話をして笑える人がいたらいい。
でも、そのために、自分の好きなものを全部差し出したくはない。
キノコを食べることも。
海外へ行くことも。
仕事を辞めることも。
自分の時間を持つことも。
猫と暮らすことも。
そういうものを諦めてまで、「誰かといる」という形だけを手に入れたいわけではない。
USBを抜く
写真を見終わって、USBを抜いた。
そこには、若い私と、昔の男がいる。
二人とも、もう今の私たちではない。
けれど、確かに私の人生の一部だった。
あの頃の私が、今の私を見たら、45歳になった自分をどう思うだろう。
たぶん、少し驚く。
もしかしたら、今の私を見て、がっかりするかもしれない。
私自身が、ときどきそう思うからだ。
「どうして私は、結婚できなかったんだろう」
「何か、私にも問題があったんじゃないか」
そんなふうに、自分を責めることがある。
でも、写真の中の私は、そんなことを知らない顔で笑っている。
そして、案外笑うかもしれない。
「ずいぶん遠くまで来たね」と。
私は45歳で独身だ。
それは事実だ。
でも、それ以上でも、それ以下でもない。
そこから「なんかある」と決めつける必要はない。
45年も生きていれば、そりゃ、いろいろある。
私にもある。
あなたにもある。
そして、その「いろいろ」を抱えた二人が、たまたま隣に座って、
「これ、おいしいね」
と言えたら。
結婚という名前がつくかどうかは、そのあとでもいい。
婚活は、自分一人の努力でどうにかするものではない。
だから私は、もう少しだけ、自分の人生を生きてみようと思う。
USBの中の若い私が、まだ知らなかった続きを。
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仕事、暮らし、学び方――40代、これからの人生を自分で選び直していく。
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