「友達になりましょう」の意味は、人によって違う|共感と距離㉙

共感と距離の間

「共感と距離のあいだ」シリーズ 第29回

この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。


「友達になりましょう」

そう言われたとき、私たちはつい「友達」という言葉を共通のものとして受け取ってしまう。

でも、実際には違う。

大切なのは、言葉そのものではなく、

「あなたにとって友達って、どんな関係?」

という部分なのだと思う。

「友達ならどこまでしていい?」にも個人差がある

友達なら、毎日連絡してもいい。

夜遅くまで話してもいい。

二人で温泉に行ってもいい。

家に行ってもいい。

弱音を吐いてもいい。

深い個人的な話をしてもいい。

そう考える人もいる。

一方で、

「友達なら、そこまで踏み込まない」

と考える人もいる。

連絡は必要なときだけ。

会うのもたまに。

プライベートには深入りしない。

恋愛対象ではない相手なら、なおさら距離を取る。

どちらが正しいという話ではない。

ただ、二人が「友達」という同じ言葉だけを頼りに関係を始めると、かなりの確率でズレる。

「友達」と言いながら、恋愛の可能性を残している人もいる

さらにややこしいのが、「まずは友達から」という意味で「友達になりましょう」と言う人だ。

つまり、

「今すぐ恋人ではないけれど、これから恋愛に発展する可能性はある」

ということ。

一方で、

「恋愛対象ではないけれど、人として付き合いたい」

という意味で「友達」と言う人もいる。

前者は「友達→親しくなる→恋人」という可能性を含んでいるが、後者は「友達→友達のまま」という前提だ。

特に恋愛を前提としたマッチングアプリでは、この違いは大きい。

「友達として」という言葉だけでは、相手がどこまでの関係を想定しているのか分からないからだ。

言葉より、その後の行動を見る

では、どうすればいいのか。

私は、

「友達になりましょう」と言われたことより、その後の行動を見る

ことが大切だと思う。

連絡頻度はどうか。

会うペースはどうか。

身体的な距離をどう取るか。

こちらの「今日は会わない」を尊重するか。

恋愛的なアプローチをしてくるか。

こちらが距離を置いたとき、どう反応するか。

そうした行動を見ていくと、その人にとっての「友達」が少しずつ見えてくる。

言葉では「友達」と言いながら、急速に距離を縮めようとする人もいる。

その人の中では、「友達」という言葉と「親密な二人の関係」が矛盾していないのかもしれない。

だからこそ、言葉だけで判断するのではなく、

自分にとって心地よい距離と、相手にとって心地よい距離が一致しているか

を見る必要がある。

「友達ならこれくらい普通」は危険

人間関係で少し怖いのが、

「友達なら普通これくらいするよ」

という言葉だ。

毎日連絡するのが普通。

すぐ会うのが普通。

これくらい話すのが普通。

そう言われても、

あなたにとって普通とは限らない。

「相手にとって普通」と「自分にとって心地いい」は、分けて考えたほうがいい。

相手がどんな意味で「友達」と言っているのか分からなければ、

「どういう感じの友達をイメージしていますか?」

と確認してもいい。

あるいは、すぐに答えを出さず、時間をかけて相手の行動を見るだけでもいい。

「友達」という言葉より、自分の境界線を大切にする

相手が、

「僕たちは友達なんだから」

と言ったとしても、

「いや、この距離は近すぎる」

と感じるなら、その感覚を無視しなくていい。

相手が親しくなりたいと思っていても、

「私はこのくらいの距離がいい」

と言っていい。

それは冷たいことではない。

関係を壊すための境界線ではなく、関係を無理なく続けるための境界線だからだ。

結局、「友達」という言葉の意味が違うこと自体は悪いことではない。

問題なのは、

自分の「友達」の定義を、相手にも当然のように適用すること

なのだと思う。

「私はこれくらい普通。あなたもこれくらい普通だよね」

そうやって相手の境界線を上書きしてしまうと、人間関係は苦しくなる。

「友達」は、一緒に決めていくもの

友達というのは、最初から完成したカテゴリーではない。

連絡の頻度。

会う頻度。

話す内容。

身体的な距離。

お互いの生活への踏み込み方。

そうしたものを少しずつ知って、

「このくらいが心地いいね」

というところを見つけていく。

だから、「友達になりましょう」と言われたら、相手の定義に自分を合わせる必要はない。

むしろ、

「私たちは、どんな関係なら心地いいだろう」

と考えてみる。

結局、関係の名前よりも大切なのは、

「この人といると、自分のままでいられるか」

なのだと思う。

断れるか。

離れられるか。

沈黙できるか。

自分のペースでいられるか。

相手の期待に応えなくても、関係が壊れないか。

「友達」という言葉が同じでも、距離感が違えば、安心できる関係にも、息苦しい関係にもなる。

だからこそ、

「友達になりましょう」と言われたら、相手の定義に自分を合わせるのではなく、自分にとっての「友達」を考えてみる。

それくらいでいいのだと思う。


穏やかな顔をしている人と、穏やかな関係をつくれる人は違う。
人の「穏やかさ」は、見た目ではなく、こちらがNOと言ったときに現れるのかもしれない。


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