「結婚したくない私」を、結婚してもいいと思わせる人|人生を組み替える|婚活編③

人生を組み替える

「結婚したい」のではなく、「この人と生きたい」|40代半ばで婚活を始めて気づいたこと

人生を組み替える|婚活編 第3話


婚活を始めて、何人かの男性とメッセージを交換した。

マッチングするのも一苦労なのだけど、
プロフィールを見る。
メッセージをする。
実際に会ってみる。

そして、ふと思った。

私は、本当に結婚したいのだろうか。

若い頃なら、もっと簡単だったのかもしれない。

結婚して。
子どもを持って。
家族を作って。

そんな人生を、漠然と想像していた時期もあった。

でも40代半ばになった今、私はもう、

「そろそろ結婚しなきゃ」

という理由だけで誰かと一緒になる気にはなれない。

むしろ今回の婚活を通して、少しずつ分かってきた。

私が探しているのは、「結婚相手」ではないのかもしれない。


「一人で死ぬのが怖い」と「この人と生きたい」は違う

ある男性と話しているとき、

「一人で死ぬのは寂しすぎる」

という話が出た。

結婚して幸せそうに暮らしている人を見ると、気持ちが沈む。
できれば誰かと一緒に暮らしたい。

そんな話だった。

その気持ち自体は、私にも分からなくはない。

年齢を重ねれば、病気になったらどうする、介護が必要になったらどうする、一人で暮らせなくなったらどうする、と考えることもある。

最期を迎えるとき、誰かいてくれたらと思うことだってある。

でも、その話を聞いていて、私はふと思った。

「一人で死ぬのが怖いこと」と、「この人と一緒に生きたいこと」は、本当に同じなんだろうか。

孤独が怖い。
だから誰かと一緒にいたい。

それは、とても自然な感情だと思う。

でも、

「一人でいたくない」

と、

「この人といたい」

は、似ているようで違う。

前者は、孤独から逃げるための選択かもしれない。

後者は、その人自身を選ぶことだ。

そして実際に男性と会ってみると、もう一つ分かったことがある。

誰かと一緒にいることが、必ずしも孤独を減らすわけではない。

むしろ、合わない人と一緒にいると、一人でいるときより孤独を感じることだってある。


一人でも、私はそれなりに楽しく生きている

私は今、一人で暮らしている。

もちろん、寂しい日もある。
誰かと話したいと思うこともある。

旅行に行ったとき、

「この景色を誰かと共有できたら、もっと面白いのにな」

と思うこともある。

温泉に入って、

「この温泉、好きそうだな」

と誰かの顔を思い浮かべることもある。

でも一方で、

一人でカフェに行く。
一人で温泉に行く。
一人で山や旅行に行く。
一人でブログを書く。
猫と暮らす。

そういう時間も、私はそれなりに好きだ。

つまり私は、

「一人では生きられない人」ではない。

ある程度、一人で生きていける。

だからこそ、

「寂しいから誰かと一緒になろう」

という理由だけでは、どうしても納得できない。

むしろ今の私には、

一人でも成立している人生に、誰かが加わる意味があるのか。

という問いのほうが大きくなってきた。


うにが教えてくれた、「一緒にいる」の心地よさ

そして最近、うにと暮らしていて、妙なことに気づいた。

私は、うにと一緒にいるとかなり安心する。

うには私のことを評価しない。

仕事をしているかどうかも気にしない。
年収も知らない。
過去の恋愛も知らない。
結婚歴も知らない。
将来どうするつもりなのかも聞いてこない。(笑)

ただ、そこにいる。

寝ている。
遊んでいる。
お腹が空いたら鳴く。
甘えたいときは寄ってくる。
一人になりたいときは勝手にどこかへ行く。

それでも、関係は壊れない。

もちろん、人間と猫は違う。

結婚相手と同じようには考えられない。

でも、うにとの暮らしから、

「一緒にいる」と「縛る」は違う。

ということを教えてもらった気がする。

同じ空間にいても、それぞれが自由でいられる。

必要なときには近づいてくる。
離れていたいときには離れている。

それでも、ちゃんとつながっている。

私は、そんな「一緒にいる」が心地いい。


私が欲しいのは、支えてあげる相手ではなく、隣を歩ける人

今回の婚活で、もう一つ気づいたことがある。

私は、

「私がいないと困る人」

を求めているわけではない。

「一人で死ぬのが怖い」
「寂しい」
「誰かにそばにいてほしい」

そういう気持ちを持つことは悪くない。

でも、その孤独を埋める役割を、私が引き受ける必要はないと思う。

私も私の人生がある。

相手にも相手の人生がある。

その二つが、それぞれちゃんと成立している。

そのうえで、

一緒にいると楽しい。

そんな関係がいい。

私はこれまで、人を支える仕事を長くしてきた。

人の話を聞く。
困っていることを整理する。
相手がどうしたら楽になるか考える。

それは仕事としては意味のあることだった。

でも、恋愛まで同じ役割になってしまったら、私はきっと疲れる。

恋人にまで、

「この人を支えてあげなきゃ」

と思い始めたら、どこかで関係が歪んでしまう。

私が欲しいのは、

私が相手を支える関係でも、相手に支えてもらう関係でもない。

もちろん、困ったときには助け合う。

でも基本的には、それぞれが自分の人生を生きている。

そのうえで、隣を歩く。

そんな関係がいい。


「条件」より、その人といるときの自分を見る

婚活をしていると、どうしても相手の条件を見る。

年齢。
仕事。
収入。
家族構成。
住んでいる場所。
結婚歴。
子どもの有無。

もちろん、それも大事だ。

でも今回の経験を通して、それと同じくらい、

「私はこの人といると、どんな自分になるんだろう」

を見るようになった。

よく笑っている?
安心している?
自然体でいられる?

それとも、

相手の機嫌を気にしている?
何を話せばいいか考え続けている?
無理をしていない?
早く帰りたいと思っている?
会ったあとにぐったりしている?

だったら、条件がどれだけ良くても、私には合わない。

若い頃の恋愛では、

「この人のことが好きか」

が大きかった。

ドキドキする。
会いたい。
もっと知りたい。

もちろん、それも大事だ。

でも40代半ばになって、もう一つ大切な視点が増えた。

「この人といる私は、自分らしいか」

ということ。

相手に好かれるために、自分を変えすぎていないか。

相手の期待に応えようとしていないか。

嫌なのに「いいですよ」と言っていないか。

そして、

一人でいるときの自分より、穏やかな自分になれているか。

それも、私にとっては大切な条件になった。


結婚は目的ではなく、「この人と生きたい」の先にある

ここまで考えて、私の結婚観は少し変わった。

私は、

「結婚したら幸せになれる人」

を探しているわけではない。

むしろ、

「この人となら、結婚してもいいかもしれない」

と思える人を探している。

順番が逆なのだ。

結婚という制度が先にあるのではない。

この人と一緒にいたい。
この人と人生を作ってみたい。

そう思える人に出会ったとき、

「じゃあ結婚する?」

という話が出てくる。

それなら、私は結婚してもいい。

今の私は、

「絶対に結婚したい」

とは思っていない。

むしろ、

「結婚しなくても、それなりに楽しく生きられる」

と思っている。

だから、結婚すること自体を目的にすると、どうしても無理が出る。

条件がいい。
年齢が近い。
仕事が安定している。
価値観が合う。

そういう人に出会ったとしても、

「じゃあ、この人と結婚したいか?」

と聞かれたら、

「まだ分からない」

となる。

でも、

「この人といると、なんだか人生が面白くなる」

と思える人に出会ったら。

もしかしたら私は、

「結婚してもいいかもしれない」

と思うのかもしれない。


婚活は、「誰かを見つける活動」であると同時に、自分を見つけ直す活動

そして婚活をしていると、もう一つ面白いことに気づく。

相手を探しているはずなのに、

会うたびに、自分がどんな人間なのかが分かってくる。

何が嫌なのか。

何なら許せるのか。

どんな距離感が心地いいのか。

どんな人といると、自分らしくいられるのか。

そして、どんな人といると、

「もっと自分の人生を楽しみたい」

と思えるのか。

もしかすると婚活は、

「誰かを見つける活動」であると同時に、「自分を見つけ直す活動」なのかもしれない。

40代半ば。

仕事も辞めた。
住む場所も変えた。
これから学ぶことも変わる。

これまで当たり前だと思っていた生き方を、一度ばらしてみている。

その中で、

「結婚」というものについても、一度、自分の中で組み替えてみていいのだと思う。

結婚していない。
だから不完全。

パートナーがいない。
だから寂しい。

そんなふうに決めつける必要はない。

一人でも、自分の人生は作れる。

そのうえで、

「誰かと一緒に作ったら、もっと面白いかもしれない」

と思ったら、誰かを探せばいい。


「この人と生きたら、人生が少し面白くなりそう」

だから、今の私が婚活で探している人を一言で表すなら、

「結婚相手」

ではないのかもしれない。

一緒に温泉に行って、

「ここ、いいね」

と言える人。

旅行に行って、

「次はどこに行こうか」

と話せる人。

何も予定がない休日に、

「今日は何する?」

と笑える人。

たまには別々に過ごしても、お互いに気にしない人。

そして、

「この人といると、自分の人生が少し面白くなる」

と思える人。

私は、そんな人に出会えたらいいと思っている。

その結果、結婚するかもしれない。

しないかもしれない。

一緒に暮らすかもしれないし、別々に暮らすかもしれない。

まだ分からない。

でも、それでいい。

第2話でも書いたように、私は「グレーのまま考える時間」を大切にしたい。

人生の大きなことほど、最初から白黒を決めなくてもいい。


私が探しているのは、「結婚」ではなく「この人と生きる理由」

今回の婚活で、私は「信頼」について考えた。

「安心」について考えた。

「距離感」について考えた。

そして今度は、

「結婚とは何なのか」

を考えることになった。

たぶん私が欲しいのは、

「結婚している」という肩書きではない。

「夫がいる」という状態でもない。

「一人ではない」という安心だけでもない。

欲しいのは、

「この人と一緒に生きてみたい」

と思える理由。

それが見つかったときに、結婚という選択肢が出てくればいい。

だから今は、結婚相手を探すというより、

「この人と生きたら、人生がもっと面白くなるかもしれない」

と思える人を探している。

それでいいのだと思う。


まだ、答えは出ていない

私はまだ、そんな人に出会っていない。

だから、

「結婚しない」

とも言い切れない。

「絶対に結婚する」

とも言えない。

今はまだ、

グレーのまま。

でも、以前ならその曖昧さを、

「決められていない」

と思っていたかもしれない。

今は違う。

まだ決めなくていい。

そう思えるようになった。

仕事も。
住む場所も。
これからの生き方も。
そして、結婚も。

一度決めたら、一生変えられないものではない。

人生は、何度でも組み替えられる。

そして婚活を通して、私はまた一つ、自分の人生について考えることになった。

次に誰かと会うときは、

「この人は結婚相手として条件がいいか」

だけではなく、

「この人といる私は、どんな私になっている?」

と、自分に聞いてみようと思う。

そして、その答えがまた一つ、

私のこれからの人生を組み替えていくのだと思う。


そして、婚活をしていると、もう一つ面白いことに気づく。

相手を探しているはずなのに、会うたびに、自分がどんな人間なのかが分かってくる。

私はどうやら、何でもすぐに答えを出したい人ではないらしい。

「まだ分からない」
「もう少し見てみたい」
「今は決めなくていい」

そんな状態を、以前より心地よく感じるようになっていた。

でも、それは単なる優柔不断なのだろうか。

「白黒をつけたい人」と「グレーのまま保持できる人」は、いったい何が違うのだろう。

次は、そんなことを考えてみたい。


「人生を組み替える」シリーズ|全話はこちら
仕事、暮らし、学び方――40代、これからの人生を自分で選び直していく。


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