インドネシアを旅していると、時々、自分の金銭感覚が壊れる瞬間がある。
「安い」という感覚は、果たして誰の基準なのだろう。
ジョグジャカルタをあとにし、スラバヤで宿泊したイビス スラバヤは、2泊で約8,000円だった。
つまり1泊4,000円。
かなり年季の入ったホテルではあったが、部屋はまずまず清潔だった。
シャワーからは普通にお湯が出る。
エアコンは轟音を響かせながら温度調整も少し難しいタイプだったが、暑いスラバヤでは十分に役割を果たしていた。
Wi-Fiも問題ない。
「これで4,000円なら安いかもしれない」
日本から来た旅行者なら、まずそう感じると思う。
インドネシアの物価の安さに驚いた最初の日々
移動で利用したGrabも同じだった。
30分以上乗っても、日本円で1,000円前後。
日本でタクシーを利用する感覚からすると、驚くほど安い。
旅の最初の数日は、私も完全に「旅行者の視点」でインドネシアを見ていた。
「インドネシアって物価が安いな」
「こんなに気軽に移動できるなんて便利」
そんなふうに感じていた。
でも、その感覚は現地の人たちと話す中で少しずつ変化していった。
1,000円のGrabは、現地の人にとって本当に安いのか
Grabのドライバー。
ホテルスタッフ。
ショッピングモールの店員。
空港で働く人たち。
彼らと話していると、収入水準は日本とは大きく違うことが分かる。
もちろん職種や地域によって差はあるが、多くの人にとって月収は日本円で数万円台のケースも珍しくない。
そう考えると、旅行者にとって「安い」と感じる1,000円の移動も、現地で働く人の生活感覚では決して小さな金額ではない。
例えば、日本で月収30万円の人に置き換えると、短距離移動に毎回数千円を払うような感覚になる。
そのことに気づいた瞬間、街の見え方が変わった。
私が見ていたのは「インドネシアの日常」ではなかった
私が滞在していた場所。
まずまず清潔なホテル。
冷房の効いたショッピングモール。
外国人向けのカフェ。
日本と大きく変わらない価格帯のレストラン。
そこは確かにインドネシアの一部ではある。
しかし、それがインドネシアの「普通の日常」なのかというと、少し違う。
そこは外国人旅行者や、比較的経済的に余裕のある現地の人たちがアクセスしやすい、「豊かな側の空間」だった。
私はそこを移動していた。
巨大モールの外側に広がる、もう一つの日常
大きなショッピングモールを一歩外へ出る。
すると景色は変わる。
道路を埋め尽くすバイク。
車の排気ガス。
路上の小さな食堂。
道路脇で休憩する人たち。
同じ都市の中に、異なる経済圏が隣り合わせで存在していた。
そして印象的だったのは、その境界線の近さだった。
高級モールの出口から少し歩くだけで、まったく違う生活風景につながる。
日本では住宅地や商業エリアの違いによって、経済的な差が街並みに表れることが多い。
一方で、インドネシアでは巨大な商業施設のすぐ外側に、別の生活の現実が広がっている場面が多かった。
旅行者として見える世界には限界がある
今回の旅で、私はずっと「豊かな旅行者側のレーン」を移動していた。
安いホテル。
便利な配車サービス。
快適なカフェ。
冷房の効いた空間。
でも、その窓の外には、そのサービスを支えている多くの人たちの日常があった。
そして私は旅の最初の頃、その現実を十分には見られていなかったと思う。
「インドネシアは物価が安い」
その一言だけでは見えないものがある。
安さの裏側には、誰かの労働と、異なる生活水準が存在している。
旅をするということは、観光地を見ることだけではなく、自分がどの場所から世界を見ているのかに気づくことなのかもしれない。
インドネシアを旅していると、物価の安さに驚く瞬間が何度もある。
1泊4,000円のホテル、数百円で利用できる移動手段、そして日本では考えられないような価格差。
しかし、旅人として「安い」と感じるものが、現地の人々にとっても同じ意味を持つとは限らない。
同じ街に暮らし、同じ電車に乗っていても、そこには所得によって異なる世界が広がっている。
そのことを強く感じたのが、ジョグジャカルタの空港から市内へ向かう鉄道だった。
わずか15分しか違わない移動に、4倍もの価格差が存在していたのだ。
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