「悪口を言うと猿になる」―ボロブドゥールで一番忘れられなかった仏教の教え|人生の再選択⑧

Culture OS Notes

ボロブドゥール寺院 を歩いていて、
最後まで頭から離れなかった言葉があります。

それが、

「悪口を言うと、来世で猿になる」

という話でした。

最初に聞いた時は、
正直ちょっと驚きました。

もっと抽象的な仏教の話を想像していたからです。

でも、現地ガイドさんはこの部分を熱心に説明していました。


「キンシンソウカン」「ウソ」「サル」

場所は、遺跡の最下層近く。

南東側の一角でした。

ガイドさんは足元のレリーフを指差しながら、

「ウソ」

「ワルクチ」

「サル」

という単語を並べていく。

ガイドさんは「キンシンソウカン」「ショウガイシャ」という単語も使っていたが、
私はその場では十分に理解できなかった。

でも帰国後に調べて、
あそこが “カルマヴィバンガ” と呼ばれる場所だったと知ります。


人間のカルマを描いた、“生々しい壁”

ボロブドゥールには、
人間の欲望や行い、
そして因果応報を描いたレリーフがあります。

かなり直接的です。

  • 暴力
  • 欲望
  • 不倫
  • 飲酒
  • 誹謗中傷

など、

「人間って昔から変わらないな」

と思うような内容ばかり。

ガイドさんは、
借金や利益のために妻や娘を差し出すような行為も、
カルマのレリーフの中で説明していた。

現代で言えば性的搾取や人身売買を連想させる話だが、
当時の人々に対して
「欲望や利益のために他人を利用してはいけない」
という教訓として刻まれていたのかもしれない。

その次の面に進むと、
“悪いことをした結果どうなるか”まで描かれている。

地獄のような場面も多い。

巨大な鍋。
責め苦。
苦しむ人々。

観光地というより、人間の欲望や弱さを映し出す展示空間のようだった。


ガイドさんが一番強調していたこと

でも、
その中でも特に熱量が強かったのが、

「妄語(嘘)」と「悪口」

についてでした。

仏教では、
口で人を傷つける行為は重い罪とされます。

嘘。
陰口。
誹謗中傷。

しかも興味深かったのが、

「来世で猿になる」

という説明でした。

もちろん宗教的・象徴的な表現です。

でも、
あの場で聞くと妙に記憶に残る。

たぶん、
“人間性を失う”

という意味なんだろうなと思いました。


なぜこの階のレリーフだけ、隠されたのか

そして、
ここからがさらに不思議でした。

実はこのカルマのレリーフ群、
完成後に石で覆われ、
長い間“隠されていた”らしいんです。

つまり、
本来なら見えない場所だった。

現在見られるのは、
近代になって一部だけ発掘された箇所。

だから現地ガイドさんが、

「ここは特別」

という空気で説明していた理由が、
あとから分かりました。


なぜ隠したのかは、今も完全には分かっていない

理由には諸説あります。

  • 地盤補強説
  • 排水対策説
  • 宗教的理由説

など。

でも私は、
実際に現地で見たあとだと、

「人間の欲望を描きすぎたから」

という説が、
なんとなく理解できる気がしました。

悟りの遺跡なのに、
描かれているのは、
執着と欲と争いばかり。

でも
そこを通過しないと、
上には行けない構造なんですよね。

ボロブドゥールは、“登る仏教”だった

実際、
ボロブドゥールって、
下から上へ登っていく遺跡です。

最下層には、
人間の欲やカルマ。

中層には、
仏教説話や修行。

そして最上部には、
静かなストゥーパ群があります。

つまりあれは、
単なる建築じゃなく、

“人間が欲から離れていく過程”

そのものなんだと思いました。


私なりの想像

これはあくまで私の想像だけれど。

ボロブドゥールを作った人たちは、人間を理想化していなかったのかもしれない。

人には欲望がある。

お金への執着もあるし、嫉妬もある。
嘘もつくし、人を傷つけることもある。

そして、それは特別な悪人だけの話ではない。

置かれた環境や条件によっては、誰もがそうなり得る。

だからこそ、最下層には人間の欲望や過ちがこれでもかというほど刻まれている。

まず現実を見る。

人間とは何かを知る。

その上で、

「では、どう生きるのか」

を考える。

ボロブドゥールは、そんな順番で作られた場所だったのかもしれない。


けれど後の時代になると、あのレリーフは石で覆われ、長い間見えなくなった。

本当の理由は今も分かっていない。

地盤補強だったのかもしれないし、別の理由だったのかもしれない。

それでも私は、少しだけ想像してしまう。

人間の醜さを見ない方が、人は清らかでいられると考えた人がいたのではないか、と。

醜い欲望を知らなければ。

残酷な行いを見なければ。

人はもっと理想的な存在でいられると信じた人がいたのではないか、と。


でも私は、そうは思わない。

人間は、醜い行いを知らないから悪いことをしないのではない。

知っていても、環境や条件が揃えば、誰だって間違える。

欲望に流されることもある。

だから大切なのは、見ないことではなく、知ることなのだと思う。

人間にはこういう面がある。

自分にもそういう面がある。

その事実から目を背けないこと。

そこからしか、本当の意味での選択は始まらないのではないだろうか。


だから私は、あの隠されたレリーフに強く惹かれた。

どんなに不快でも、どんなに痛くても、私は事実を知りたい。

人間の美しさだけではなく、弱さや醜さも含めて知りたい。

そして、その上でどう生きるかを、自分自身で決めたいと思った。


旅の最初にいた、「執着」の空気

今振り返ると、
あの日の旅って、
最初から妙にテーマが繋がっていました。

遺跡へ向かう途中で感じた、

  • 利益への執着
  • 客を握っていたい空気
  • 境界線の曖昧さ

そして、
遺跡の中で見た、

  • 欲望
  • 悪口
  • 因果応報

不思議なくらい、
同じテーマが流れていた。

だから私は、
あのガイドさんが熱心に

「嘘をつくとサルになる」

と言っていたのを、
妙に忘れられないんだと思います。


「美しい遺跡」だけでは終わらなかった

正直、

行く前はもっと、

「壮大な世界遺産」

として見に行くつもりでした。

1200年前の人々が作った巨大建築。

その技術や歴史に感動する旅になるのだろうと思っていました。

でも、
記憶に残ったのは、
技術や石の美しさだけではありませんでした。

  • 火山灰に削られた仏像
  • 世界中へ散った仏頭
  • 爆弾テロ
  • 修復
  • 欲望
  • カルマ
  • 人間臭さ

そういうもの全部を含めて、
ボロブドゥールは“生きている遺跡”なんだと思います。

そしてたぶん私は、
「悟り」そのものより、

そこへ至るまでの、
人間のドロドロした部分に強く惹かれていたんだろうなと思いました。

だから私は、あの隠されたレリーフに惹かれたのだと思う。

そこに描かれていたのは、特別な誰かの話ではなかった。

きっと私の中にもあるものだった。

人間を信じたいからこそ、

私はまず人間の弱さを知っておきたい。


旅をしていると、ときどき説明できない感覚に出会う。

景色が特別きれいだったわけでもない。

何か大きな出来事があったわけでもない。

それなのに、なぜか心に残ってしまう場所。

ボロブドゥールの翌日、私が訪れたプランバナンとセウ寺院は、まさにそんな場所だった。

同じ世界遺産エリアなのに、一方では緊張し、もう一方では深く安心した。

その感覚の正体を、私は後から歴史や宗教、そしてAIとの対話を通して少しずつ理解していくことになる。


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