バリ島からジョグジャカルタへ ― ジャワ島に向かう飛行機の中で考えたこと|人生の再選択④

Culture OS Notes


2026年、人生の再選択 ― 世界を歩きながら考えたこと

仕事を離れたあと、私はインドネシアへ向かった。
このシリーズは、旅の記録であると同時に、これからの生き方を探していく過程の記録でもある。世界を歩きながら見た風景、人との出会い、そして心の変化を書き残していきたい。

Episode 4:ジャワ島へ ― 移動の前に見えていたもの

この日は、バリ島からジャワ島・ジョグジャカルタへ向かう日だった。

サヌールのホテルを出て、ングラライ空港へ向かう。
所要時間は約25分。

到着した時には気づかなかったが、振り返ると、この移動はすでに“普通の旅”ではなかった。

数日前、日本から到着した時は同じ道で1時間以上かかっていた。

その理由は、後から知ることになったが、その週はインドネシアの大型連休期間だった。

日本のゴールデンウィークのように、前後に休みをつなげて移動する人が多く、空港周辺は想像以上に混雑していたらしい。

知らないうちに、その「国のリズム」に巻き込まれていたことになる。


ジョグジャカルタという街について

ジョグジャカルタは、これから向かうジャワ島中部の都市だ。

現地では「ジョグジャ」と略されることも多いという。

この街を少し調べてみると、単なる観光地ではないことがわかってくる。

ジョグジャカルタは、ジャワ文化の中心地とされる場所だ。

かつての王宮文化が今も残り、今も王宮(Kraton Yogyakarta)が機能している。

そして同時に、この街はインドネシア有数の教育都市でもある。

特にガジャマダ大学(Gadjah Mada University)を中心に、多くの学生が集まる。

そのため街には常に若い空気が流れている。


経済的には、インドネシアの中でも豊かな地域ではないと言われる。

しかしその分、生活の軸は「産業」ではなく「文化」と「教育」にある。

ジャワ舞踊、ガムラン音楽、影絵芝居といった伝統芸能が、観光用としてではなく、生活の延長として残っている。

どこか、日本で言う京都のような都市構造に近い。

ただし、より生活と文化が地続きのまま残っている印象がある。


インドネシア独立とこの街の記憶

ジョグジャカルタは、インドネシア独立の歴史とも深く関わっている。

第二次世界大戦後、インドネシアは独立を宣言したが、旧宗主国オランダとの間で戦いが続いた。

その中で、一時的に首都機能がジョグジャカルタへ移され、この街は独立運動の重要な拠点となった。

政治の中心であり、同時に文化の中心でもあった場所。

これから向かう街は、観光地というよりも、国家の記憶を一度背負った都市なのだと知る。


空港に向かう時間の中で

空港へ向かう車の中で、ふと考えていた。

数日前まで会社員として過ごしていた自分が、今はインドネシアの空を移動しようとしている。

生活の延長のようでいて、どこか断絶のようでもあるこの感覚は何だろう。

旅は単なる移動ではなく、状態の変化なのかもしれない。

「どこへ行くか」よりも、「どの状態でそこへ行くか」のほうが重要なのではないか。


およそ1時間後にはジャワ島

飛行機に乗れば、1時間ほどでジャワ島に着く。

たったそれだけの距離なのに、そこには別の歴史、別の文化、別のリズムがある。

まだ見たことのない街へ向かうということは、単に場所を変えることではなく、自分の認識を少しずつ更新していくことに近い。

この先にあるジョグジャカルタが、どんな風景を見せてくれるのかはまだわからない。

ただ、少なくとも今いる場所とは違う時間が流れていることだけは確かだ。


実際にこの街へ向かう途中、私は想像していた「ジョグジャカルタ」とは少し違う現実に出会うことになる。
空港での混乱、客引きの圧、そしてネットがない不安。
その体験は次の記事にまとめている。


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