移住の選択と思考シリーズ 第8回
節約が好きだったわけではない
大学時代から、海外へ行くのが好きだった。
異国の言葉を聞きながら、
「こんな時に、人はこんな反応をするんだ」
と観察するのが好きだった。
日本では整いすぎていて見えなくなっているものが、
海外ではむき出しになっていた。
インフラが整っていない場所。
驚くほど自然が美しい場所。
価値観も常識も違う場所。
そういう場所に行くたび、
少しだけ自由になれる気がした。
見られているのに、
誰にも見られていないような感覚。
あれはたぶん、
「日本の空気」から少し離れられる時間だったのだと思う。
一方で、20代から30代前半の頃の私は、
周囲の空気にも強く影響されていた。
ハワイやグアムへ行けばブランド品を買い、
流行の服を着て、
少しでも“ちゃんとして見える側”にいようとしていた。
今思えば、
本当に欲しかったというより、
下に見られたくなかったのだと思う。
あの頃の私は、
周囲の価値観の中で、
必死に「ちゃんとした大人の女性」を演じようとしていた。
「誰も助けてくれない感覚」があった
20代の頃、
大学時代から長く付き合っていた人と別れた。
私は、この人と結婚するのだと思っていた。
でも、結婚の話はいつまで経っても出なかった。
そして不思議なことに、
一緒にいて安心する反面、
どこか窮屈でもあった。
指図されているような、
支配されるような感覚も少しあった。
当時の私は、
「結婚して子どもを持つことが女性の幸せ」
という空気を、疑いなく信じていた。
周囲の友人たちも次々に結婚し、
私は何度も結婚式や披露宴に出席した。
あの頃のまま仲の良い夫婦もいる。
でも、
愛情の形が変わった夫婦もいた。
別れて再婚した友人もいる。
子どもがいることで、
簡単には離婚できず苦しそうな人もいた。
結婚には、
社会保障や制度上のメリットがある。
でも、それだけで、
人生そのものが保証されるわけではない。
そう感じるようになっていった。
そして今回も、
7年間付き合った人がいた。
けれど、
私が退職という大きな局面を迎えた時、
彼は先にいなくなっていた。
不思議なくらい、
私は人生の転機では、
支えてほしかった人に支えてもらえない。
そんな経験が、
何度も繰り返されてきた。
女性として年齢を重ねる恐怖
30代前半にも恋愛をした。
でもその関係は、
私が背負いすぎて壊れた。
支え続けることに疲れて、
もう無理だと思った時、
関係そのものが崩れてしまった。
30代後半に入る頃には、
「そろそろ子どもが産めなくなる」
という焦りもあった。
プレお見合いにもお金を払った。
一流ホテルのラウンジ。
おしゃれな街のカフェ。
いろんな人に会った。
でも、
「この人と暮らす未来」が見える人は、
なかなか現れなかった。
私は、
どんな人生を望んでいたのだろう。
本当は、
自分でもよく分かっていなかったのかもしれない。
恋愛と経済は、本当は切り離せなかった
誰と恋愛して、
誰と一緒に生きるか。
それは感情だけでは決まらない。
現実には、
経済も、生活も、働き方も、
全部つながっている。
友人たちを見ていても、
その違いを感じることがあった。
夫が経営者になった友人は、
洗練された服を着て、
ブランド品を持っていた。
自営業の夫を持つ友人は、
自由さがある一方で、
自分は公務員として働きながら、
ワンオペで子育てを支えていた。
公務員家庭は、
堅実で質素な暮らしが多かった。
結局、
お金の問題は、
人生から切り離せないのだと思う。
7年前までの私なら、
経済力のある男性に惹かれていたと思う。
でも、
それだけでも違った。
感受性。
何気ない会話で笑えること。
穏やかに過ごせること。
お互い停滞せずに成長できること。
私にとっては、
そういうものも同じくらい大切だった。
でも、
その両立は難しかった。
顔がかっこいいとか、
一緒にいて心地いいとか。
もちろんそれも大事だった。
でも、
現実の社会を生きるには、
恋愛感情だけでは足りなかった。
お金は、自由になるための防波堤だった
一人で生きてきて、
頼りたい時に頼りたかった人は、
なぜかいつもいなくなった。
大きな局面になるほど、
そうだった。
そんな経験を重ねるうちに、
最後に頼れるのは、
自分と、自分で稼いだお金なのだと感じるようになった。
今は、
契約社員や派遣社員として働く女性も多い。
会社が一生面倒を見てくれる時代でもなくなった。
生産性、生産性と叫ばれ、
最近ではAIを理由に、
人件費削減の話まで出てくる。
そんな時代の中で、
私は「選べる自由」が欲しかった。
この会社に居続けるか。
辞めるか。
誰かに依存せず、
自分で決められる自由。
「この金額があれば、
怖がらずに会社を辞められる」
そう思える地点まで、
私はお金を貯め続けた。
それは贅沢のためではなく、
自由になるためだった。
会社を辞める夜に、私は眠れなかった
20年近く、
私はどこかに雇われて働いてきた。
満員電車。
決められた時間。
雨の日も雪の日も、
電車が止まりそうな日も会社へ向かう。
「この働き方に意味はあるのだろうか」
と思ったことも何度もあった。
本当は、
ずっと窮屈だった。
それなのに、
所属がなくなることを、
私は少し怖がっていた。
振り返れば、
保育園の頃から、
私たちはずっと何かに所属して生きている。
学校。
会社。
組織。
どこかに属していることで、
安心していたのだと思う。
だから今、
そこから外れようとしている自分に、
少しだけ恐怖を感じている。
それでも、私は自分で生きていこうとしている
結局、
ずっと感じていたのは、
最後に頼れるのは自分だけだということだった。
もちろん、
人に助けられたこともある。
でも、
人生の大きな局面では、
最後は自分で決め、
自分で立つしかなかった。
その代わり、
私は学んだこともある。
能力を身につけること。
経験を積むこと。
足りない部分を少しずつ成長させること。
そうやって、
人はまた生き延びていけるということ。
私の頭の中にある経験や、
体験してきたこと、
積み重ねた感覚、
生き抜こうとしてきた姿勢は、
誰にも奪えない。
結局、人生は、
自分が欲しいものが、
欲しいタイミングで手に入るとは限らない。
あとになって振り返って、
はじめて分かることも多い。
周りを見ていても、
みんな一見幸せそうに見えながら、
それぞれに悩みや苦しさを抱えて生きている。
幸せの形は、
本当はひとつではないのだと思う。
結婚していること。
子どもがいること。
安定した会社にいること。
それだけでは測れないものが、
人生にはたくさんある。
だから今の私は、
「会社を離れる」という選択が、
これまでより少し自由に、
少し自分らしく生きることにつながると信じている。
不安はある。
それでも私は、自分で選んだ人生を生きてみたいと思っている。
English Version
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人生の転機というものは、もっと静かで、もっとドラマチックなものだと思っていた。
でも実際には違った。
大きな決断のあとに残るのは、意外と小さなことだった。
最後に私の記憶に残ったのは、新しい土地への期待でも、不安でもなく、
一本のホースと、止まらない水だった。
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環境を変えたいのか、それとも人生を変えたいのか。
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