一人なのに寂しい理由|人といても満たされなかった私の話|共感と距離⑫

共感と距離の間

「共感と距離のあいだ」シリーズ 第12回

この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。

誰でもいいから一緒にいたかった頃

以前の私は、
一人でいることがとても苦手だった。

理由はうまく説明できないけれど、
とにかく一人になると、
胸の奥がざわざわして落ち着かなかった。

だから、

誰かと一緒にいたかった。

正直に言えば、
その「誰か」は特別な人でなくてもよかった。

ただ、一緒に時間を過ごしてくれる人がいれば、
その場の寂しさは少しだけやわらぐ気がした。

だから私は、

  • 誘われればなるべく断らない
  • 相手に合わせる
  • 嫌われないように振る舞う

そんなふうにして、人との距離をつないでいた。


人といても満たされなかった理由

でも、不思議なことが起きていた。

人と一緒にいるのに、
どこか満たされない。

会話もしているし、
笑っている時間もある。

それなのに、

ふとした瞬間に

「何かが足りない」

という感覚が残る。

そして、その違和感をごまかすように、
また別の人と会う。

その繰り返しだった。


嫌われないために無理をしていた

今振り返ると、
私はずっと

「嫌われないこと」を優先していた。

本当は少し疲れていても、
誘われれば行く。

本当は気が進まなくても、
場の空気に合わせる。

ときには、

相手の無理な要求にも応えていた。

それでも、

「一人になるよりはいい」

と思っていたからだ。

なぜ「一人」はこんなにも不安になるのか

ここで、少しだけ別の視点の話をしたい。

人はもともと、
一人で生きるようにはできていないらしい。

古代の人間は、
ずっと「群れ」で生活してきた。

食べ物を得ることも、
外敵から身を守ることも、
すべてが集団の中で成り立っていた。

だから、群れから外れることは、
単なる孤独ではなく、
生き延びられない可能性が高まる状態だった。

その名残なのか、

人は今でも、
一人になるとどこか不安になる。

胸の奥がざわつくあの感覚も、
もしかすると

「このままでは危ないよ」

と知らせる、
とても古い仕組みなのかもしれない。

ただ、ここでひとつ誤解しやすいことがある。

それは、

「一人=危険」なのではなく、
「つながりが足りていない状態を知らせている」

ということ。

つまり、

あの寂しさは、
弱さではなく、

ちゃんと人とつながろうとする機能だった。

一緒にいても寂しいという矛盾

そうやって人とつながっていたはずなのに、

あるとき、ふと思った。

「一緒にいるのに、なんでこんなに寂しいんだろう」

この感覚は、

一人でいるときの寂しさとは少し違っていた。

人といるのに満たされない。

むしろ、

一人でいるときよりも
強く孤独を感じる瞬間があった。

「誰でもいい」で埋めようとするとズレていく

この仕組みには少しだけ厄介なところがある。

「寂しい」というサインは、

とにかく
“誰かとつながろう”
と動かす力が強い。

でもそのとき、
その“誰か”の質までは教えてくれない。

だから私は、

誰でもいいから一緒にいたい
とにかく一人を避けたい

そんなふうに動いてしまっていた。

結果として、

本当は合っていない相手とも関わり続けて、
無理をして、気を使って、

それでも満たされない、
という状態になっていた。

今ならわかる。

あのとき必要だったのは、

「誰か」ではなく、
安心できる関係だった。

数を増やすことでも、
予定を埋めることでもなくて、

ちゃんと呼吸ができる距離で、
いられる相手だった。

だからこそ、
「誰とつながるか」よりも、
「どんな距離でつながるか」が大切だったのだと思う。


一人の方が楽だと気づいた瞬間

そんな状態が続いたあるとき、

私はふと、

「一人でいた方が楽かもしれない」

と思った。

最初は少し怖かった。

でも、思い切って

  • 無理な付き合いを減らし
  • 一人で過ごす時間を増やした

すると、意外なことが起きた。

心が、少し静かになった。

誰かに合わせる必要もなく、
気を使い続けることもない。

そして気づいた。

「一人でいる方が、ちゃんと落ち着く」


寂しさの正体は「人の数」ではなかった

ここでやっとわかったことがある。

あの頃の寂しさは、

「人がいないから」ではなかった。

本当は、

安心できる関係がなかった

のだと思う。

だから、

誰といても満たされなかった。

どれだけ人と会っても、
その奥にある不安は消えなかった。


距離を取ることで見えたもの

一人の時間が増えていく中で、

少しずつ

「人との距離の取り方」

が変わっていった。

  • 無理に関係をつなぐ必要はない
  • 合わない人とは距離を取っていい
  • すべての人と仲良くしなくていい

そう思えるようになると、

人との関係は少しずつ楽になっていった。

そして、
自分の気持ちを後回しにせずにいられるようになった。

気づけば、
自分が自分の一番の理解者になっていた。

自分の中の感覚を、
無理に押し込めなくてよくなった。


共感と距離のあいだで

今は、

誰かと一緒にいることもあるし、
一人でいる時間もある。

どちらか一方ではなく、
そのあいだを行き来している。

以前のように、

「誰でもいいから一緒にいたい」

と思うことはなくなった。

でも、

「誰とも関わりたくない」

わけでもない。

大切なのは、

どんな距離でつながるか

だったのだと思う。


次回、共感する力は、強みでもありリスクにもなる。
その境界が曖昧になったとき、人間関係はどう変わるのか──。


人間関係の中で生まれる違和感は、
個人の問題ではなく「構造」によって起きていることもあります。

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少し距離を変えてみるだけで、
これまでとは違う関係の形が見えてくるかもしれません。


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