「共感と距離のあいだ」シリーズ 第9回
この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。
大学入学、それから25年
今日は、友達作りが苦手な私に、ようやくできた貴重な友達の話をしたいと思った。
私はもう25年以上前に看護大学に入学した。
入学してすぐ、周りではあっという間に友達グループができていった。
看護大学は人数も多くない。
だからグループができるのも、ものすごく早い。
でも私はどのグループにもしっくり来なかった。
入れないわけではない。
でもなんとなく会話のテンポが合わない。
なんとなくついていけない。
そんな感じだった。
5月の中旬頃だったと思う。
一年生の交流会のようなものがあり、
たしか居酒屋で集まった。
そのとき、たまたま前に座っていた子と話すようになった。
今振り返ると、
その瞬間が
25年以上続く友人との出会いだった。
そこからその子の友達グループに入れてもらうことになった。
わたしを入れて、全部で7人。
ようやく
「大学で友達ができた」
そう思って、正直ほっとしたのを覚えている。

「本当は嫌だった」と言われた日
その年の夏頃だったと思う。
グループの一人に、こんなことを言われた。
「本当はノアが入るって聞いたとき、ちょっと嫌だったんだよね。天然だし。」
そして続けて、
「でも今は入ってくれてよかったと思ってる」
とも言われた。
たぶん悪気はなかったのだと思う。
でもその言葉は、なぜか今でも覚えている。
講義が終わり、家路につく途中。
学校の窓に反射する淡い光。
太陽に照らされた階段と、その影。
そんな校舎の景色と一緒に、
あの言葉を、今でもはっきり覚えている。
少し下を向いて、ぽつりと言い、
言い終わったあと、ふっと私の顔を見た。
その横顔も、その視線の動きも、私を見た時の表情も。
あのときの空気ごと、
なぜか、すべて覚えている。
人はときどき、
何気ない一言を、
風景ごと記憶してしまうことがある。
でも今振り返ると、
人間関係というのは
そういうものなのかもしれないとも思う。
最初から
全員に歓迎されるわけではない。
少しずつ距離が変わり、関係ができていく。
そして気がつけば、
25年続く友情になっていることもある。

それでも続いた7人の友情
この7人のグループは
今も続いている。
大学時代は
みんなの誕生日をその都度祝っていた。
卒業してからは
住む場所もバラバラになったので
年に一度
7人全員分の誕生日会をする
という文化になった。
コロナで一度止まったけれど
それでも関係は続いている。
誰かに何かあれば
イベントごとに集まる
家族のような
不思議な安心感がある。
人間関係は善悪で分けられない
ただ、人間関係は単純ではない。
その中の一人は
今でもときどき私に攻撃的だ。
他のメンバーには
そんなことはしないように見える。
私にだけ少し強い。
境界線を越えるようなことを
言ってくることもある。
大学の頃から圧の強い人ではあった。
正義感が強く
白黒はっきりしている。
でも同時に
いろいろな事情を抱えている人でもある。
家族の問題。
仕事の葛藤。
人生の重さ。
だから私は知っている。
人は簡単に
「良い人」
「悪い人」
に分けられない。

支え合いながら、ときどき傷つけ合う
私はこの人が
完全に嫌いなわけではない。
むしろ昔、
彼女がつらい時
私は長い時間、話を聞いた。
人は
支え合ったり
傷つけ合ったりしながら
関係を続けていく。
誰か一人欠けても同じ形にはならない
正直に言うと
もしその人が
このグループにいなかったら
もう少し楽だったかもしれない。
でも
誰か一人欠けたら、きっと同じ関係ではいられなかったと思う。
7人のうち、誰が中心というわけでもない。
でも、それぞれが少しずつ違う役割を持っていた。
よく話す人。
静かに聞いている人。
場をつなぐ人。
少し距離をとる人。
そのバランスで、たまたま成り立っていた。
誰かがいなければ、
別の形にはなったのかもしれない。
でもそれは、もうこの関係ではない。
長く続いた理由を考えると、
強い絆があったというより、
たまたま壊れなかった、
という方が近い気もする。
でもその「たまたま」は、
たぶん、偶然だけではできていない。
誰かが無理をして、
誰かが少し引いて、
誰かがつないでいた。
そういう小さな積み重ねの中で、
この形は、なんとか保たれてきたのだと思う。

引っ越しと友人関係の整理
私は今年
生まれた土地に引っ越す予定だ。
人生の場所も少し変わる。
友人関係を整理することも考えた。
でも
このグループだけは
残しておきたいと思った。
女性は小さな関係ネットワークを作る
ここまで続いた理由を考えることがある。
7人という人数。
年に一度会うくらいの距離。
それでも切れない関係。
あとになって知ったのだけれど、
女性は小さな関係のネットワークを作りやすいと言われているらしい。
進化心理学では、
情報共有や危険回避のために
信頼できる少人数の関係を
長く保つ傾向があると言われている。
だから女性は
誕生日会をしたり
定期的に集まったり
小さな「関係を続ける習慣」を
作りやすいらしい。
そう考えると
私たちの
「年に一度、7人全員分の誕生日会」
という習慣も
たぶんその一つなのだと思う。
長く続くグループの距離感
そしてもう一つ思うことがある。
長く続く関係ほど、
実はそんなに頻繁には会わない。
近すぎると疲れる。
でも遠すぎると切れてしまう。
年に一度。
数年に一度。
人生の節目で会う。
そのくらいの距離が
私たちにはちょうどよかったのかもしれない。

ちなみに女性グループは
4〜8人くらいに落ち着くことが多いと言われている。
少なすぎると閉鎖的になり、多すぎると維持できない。
7人という人数は
実はかなり自然なサイズらしい。
そしてこういうグループでは
全員が同じ距離で
仲が良いわけではない。
AとBは仲が良い
BとCも仲が良い
CとDも仲が良い
という
ネットワーク構造で
つながっていることが多い。
だから
一人とだけ相性が少し悪い
というのも珍しいことではない。
むしろ
25年グループが壊れていない方が
すごいのかもしれない。
関係をつなぐ人の存在
このグループが続いた理由は
もう一つある。
情が厚く
人をつなぐのがうまい
友人の存在だ。
こういうグループにはよく
「関係維持の人」がいる。
空気を壊さず、人と人をつなぐ人。
そういう人がいると
グループの寿命は長くなる。
そして、今になって思う。
この7人の関係は
「群れ」というより
ゆるい家族に近い。
全員が
べったり仲良しなわけではない。
でも、決して切れない気もする。
たぶん
あの友人が
ときどき私に強く当たるのも
私をゆるい家族として
「絶対怒らない相手」
「関係が壊れない相手」
として見ているからかもしれない。
反撃しない。
受け止める。
共感する。
だから感情をぶつけやすい。
共感と距離のあいだで続く関係
人間関係は、単純ではない。
完璧な人間関係は、存在しない。
でも
完全に悪い関係も、ほとんどない。
人は
共感と距離のあいだで
関係を続けている。
近づきすぎると疲れる。
離れすぎると寂しい。
だから
少し距離を取りながら
関係を続ける。
25年の友情は
たぶん
そうやってできているのだと思う。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
人間関係は、
白か黒かでは割り切れないものだと感じています。
支えられた記憶と、少し傷ついた記憶が、
同じ人の中に同時に存在している。
だからこそ、簡単に切ることもできないし、
かといって、ずっと近くにい続けることも難しい。
「共感したい気持ち」と
「距離を取りたい気持ち」のあいだで揺れながら、
それでも続いていく関係もあるのだと思います。
25年という長い時間、友情を育むことについて書きましたが、
けれど、人は無意識に『自分と同じ感覚を持つ人』に出会う瞬間を求めています。
次回は、
『もし小学生のときに出会えていたらよかったね』と言った瞬間の話をお届けします。
同じ種類の人に出会ったときの、
胸がじんわり温かくなる感覚について、書きたいと思います。
🌿あわせて読みたい
・なぜ人は「いい人なのに苦手」と感じてしまうのか
このシリーズでは、
人との距離感や関係の続き方について書いています。
よければこちらも読んでみてください。
続きを残す力になります。
任意で応援いただけたら嬉しいです。
※本記事の内容・概念の無断転載・再配布はご遠慮ください。
引用の際は、出典リンクの明記をお願いいたします。





コメント