「いい人なのに苦手」と感じる理由|違和感の正体と心の防衛反応|共感と距離④

共感と距離の間

「共感と距離のあいだ」シリーズ 第4回

この記事は「共感と距離シリーズ」です。
人間関係の中で起きる共感と境界の問題について書いています。
     

シリーズ「共感と距離」の第3回では、
なぜ人は「いい人なのに苦手」と感じてしまうのか|人間関係の違和感の正体
を解説しました。

まだ読んでいない方は、まずこちらからどうぞ:
共感と距離③|なぜ人は「いい人なのに苦手」と感じてしまうのか


第4回では、具体的な実体験をもとに、
「いい人なのに合わない」と感じる瞬間の構造と、
その違和感をどう受け止めるかを整理してみます。


「いい人だけど合わない」と感じたランチの話

ある区切りのタイミングで、
これまであまり接点のなかった人とランチに行くことになった。

感じはいい。
会話も、特に途切れるわけではない。

それなのに、どこか引っかかるものがあった。

帰り道、ふと浮かんできたのは、こんな言葉だった。

「いい人なんだけど、どこか合わない気がする」

この感覚の正体を、少しだけ丁寧に見てみたくなった。


小さなズレが積み重なると、違和感になる

その日のやり取りを振り返ってみると、
ひとつひとつは本当に些細なことだった。

会計のときの認識が少しずれる
注文した内容の把握が少し曖昧
「ごちそうする」という言葉と実際の流れに、ほんの少しの違和感がある

どれも大きな問題ではない。

ただ、

小さなズレは、静かに積み重なっていく

気づいたときには、言葉にしづらい違和感として残っていた。


フェアさが揃わないと、人は少し落ち着かなくなる

特に印象に残ったのは、
「誰がどれくらい負担しているのか」が、少し曖昧なまま進んでいく感覚だった。

これは損得というよりも、

関係の中で、なんとなく感じ取っている“バランス”の問題なのかもしれない。

そのバランスが揃わないと、
人は理由がはっきりしなくても、どこか落ち着かなくなる。


「見ている前提」が違うと、会話は少しずつずれていく

会話の中でも、わずかなズレを感じていた。

相手は、
これまでの経験や「こういうものだよね」という前提をベースに話している。

一方で私は、
状況ごとに考えたいし、その都度選びたいと思っている。

同じ話をしているはずなのに、
見ている前提が少し違っている。

それはどちらが正しいという話ではないけれど、
気づかないうちに、少しずつ距離が生まれていく。


言葉にならない違和感は、静かに繰り返される

その人は、これまでの経験についても話してくれた。

ただ、その多くは

「なんとなく合わなかった」
「うまくいかなかった」

という形で終わっていた。

違和感は確かにある。
でも、それがはっきりと言葉になっていない。

そのとき、ふと思った。

違和感は、感じているだけでは流れていく
言葉にならないままだと、同じかたちでまた現れる

人はきっと、「何か違う」と感じている。
でも、それが何なのかまで整理されないと、
同じような場面で、また似た感覚に出会うのかもしれない。


「いい人」と「合う人」は、少し違う

今回あらためて感じたのは、

「いい人」と「合う人」は、必ずしも同じではないということだった。

おおらかで、細かいことを気にしない人
その場の空気を大切にする人

そういう人同士は、自然と心地よく過ごせる。

一方で、

一貫性やフェアさ
状況の整理や理解

そういったものを大切にする人とは、
少しずつズレが生まれることもある。

優しさや性格の良さとは別のところで、
“合う・合わない”は決まっていく。


無理に合わせると、静かに疲れていく

こういうとき、以前の私は

もう少し理解しようとする
自分が合わせればいいと思う

そうやって関係を続けていた。

でもそれは、

少しずつ自分をすり減らしていく関係でもあった

距離があるときには見えていた良さも、
近づきすぎることで、違う形に感じられることがある。

少し前の自分の話

18歳くらいから、
実家に帰っても気軽に会える友人はいなかった。

育った土地でもなく、
どこか「帰る場所」という感覚も薄かった。

当時は、少し寂しさを感じていたと思う。

でも今振り返ると、

「人がいないこと」よりも
“人がいる前提の世界に、自分を合わせようとしていた違和感”

のほうが大きかったのかもしれない。


合わない人とは、少し距離をとるという選択

すべての人と分かり合うことはできない。

だからこそ、

分かり合えないことを前提に、少し距離をとる

そんな関わり方のほうが、自然なこともある。

近づきすぎなければ、
その人の良さを、そのまま受け取れることもある。


おわりに

人は、誰かと一緒にいても、ふと寂しさを感じることがある。

完全に分かり合うことは、きっと簡単ではないからだ。

それなら、

一人でいるときの寂しさも
誰かといるときの寂しさも
どこか似ているものなのかもしれない。

そう思うようになってから、
無理に誰かに合わせることは、少し減っていった。

「いい人だけど合わない」と感じるとき、
そこには単なる価値観の違いだけでなく、
感受性や受け取り方の違いも重なっているのかもしれない。


次回は、
優しさや共感力が高い人ほど、なぜ傷つきやすくなるのかを少し掘り下げていきます。
人との距離に迷ったときのヒントを、一緒に考えてみたいと思います。


▶ 次に読む

「優しすぎて、もう疲れてしまった人へ」
 優しすぎる人は、なぜこんなに生きづらいのか
ごまかして生きられないことはなぜこんなに苦しいのか


▶ この苦しさの“正体”を知る

「それはあなたの問題ではないかもしれません」
 なぜ組織は“見ないふり”をするのか
組織が変わらないのには理由がある


▶ もう限界かもしれない人へ

「無理に頑張り続けなくてもいいという話」
→ 静かに降りるという選択
変わらなかった世界と、変わった私


▶「共感と距離のあいだ」シリーズ 全話一覧はこちら


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