第一部|組織と依存の構造「感受性の高い人の仕事の見え方」シリーズ
※この記事は
「感受性の高い人の仕事の見え方」シリーズの第一部 第15回(最終回)です。
▶ 第1回|やさしくて仕事のできる人ほど、会社で静かに消耗する
▶ 第2回|感受性の高い人と低い人の働き方の違い ― 過去・現在・未来の視点から考える ―
▶ 第3回|抽象思考の人ほど、職場で消耗していく理由―「翻訳役」になってしまう構造―
▶ 第4回|記憶力がいい人ほど、職場で消耗していく理由―「説明係」になってしまう構造―
▶ 第5回|危険を読む人ほど、前に出られなくなる
▶ 第6回|同じ職場なのに、なぜこんなにしんどいのか
▶ 第7回|なぜ組織は「見ないふり」をするのか
▶ 第8回|感情で職場を支配する人に、なぜ私たちは消耗するのか
▶ 第9回|会議で主導権を握りたがる人の心理
▶ 第10回|「ゼブラ企業」で消耗していく理由―優しさが依存に変わる職場の構造
▶ 第11回|「休めない人」と「動けなくなる人」は、同じ場所で消耗している
▶ 第12回|じゃあ『感受性』って何なのか?―心より先に、身体が反応してしまう人たち―
▶ 第13回|飲み会がつらい人ほど、職場で静かに消耗していく理由
▶ 第14回|感受性の高い人が「脳みそを貸してしまう職場」で消耗する理由
このシリーズでは、
「なぜ、優しい人ほど職場で消耗していくのか」をテーマに、
実体験と心理構造の両面から掘り下げています。
第一部では、組織・人間関係・依存構造の問題を分析し、
第二部では、自分の人生を取り戻すための視点を整理していきます。
読み進めることで、
「我慢するしかなかった自分」から、
「選び直せる自分」へ変わっていくことを目指しています。このシリーズでは、
「感受性が高く、まじめで、仕事に誠実な人」が
なぜ職場で消耗しやすいのかを、構造的に書いています。

今回は、
「支える側」になりすぎたときに起きる、
もう一つの静かな問題について書きたいと思います。
ある日の「強い不安」
ある日、同僚から、強い不安をにじませた相談を受けました。
話はまとまらず、
同じ内容を何度も繰り返し、
こちらが答えても、なかなか安心できない様子でした。
私は、その不安の大きさに、少し戸惑いました。
なぜなら、
それまで彼女は、
別の同僚にも相談しながら仕事を回してきたからです。
私がいなくなっても、
環境が完全に崩れるわけではありません。
それでも、不安は消えませんでした。
これ
特殊な出来事ではなく、
組織では一定条件が揃うと自然に起こる状態です。

「頼る」と「預ける」の違い
そのとき、私は気づきました。
彼女が求めていたのは、
「相談」ではなく、
「判断そのもの」だったのだと。
・どう考えるか
・どう決めるか
・どう責任を持つか
それを、
無意識のうちに、
私に預けていたのです。
私は「一緒に考えているつもり」でした。
でも実際には、
“代わりに考えていた側”になっていました。

安心できる場所ほど、依存は生まれやすい
職場には、ときどき、
安心できる「避難場所」のような関係が生まれます。
評価に響かない。
責められない。
否定されない。
そんな場所にいると、
人は少しずつ、
自分で考える力を手放していきます。
悪意はありません。
むしろ、
怖いだけなのです。
失敗が怖い。
責任が怖い。
評価が怖い。
だから、頼れる人に全力で寄りかかる。
それが習慣になります。
習慣になると失うことが恐ろしく、手放すことができなるのです。
これは個人間の相性というより、
組織内で身分の安定が懸念される環境で起こる典型的な反応です。

「弱さを見せること」と「甘えきること」は違う
ここで、ひとつ考えたことがあります。
弱さを見せること自体は、悪いことではありません。
誰だって、不安になることもあるし、
迷うこともあります。
でも――
それをすべて他人に預けてしまうこと。
自分で向き合う努力をせずに、
安心できる相手に丸投げしてしまうこと。
それは、
少し違うのではないかと思いました。
人に甘えきり、
弱さを過剰にさらし続ける姿は、
ときに、
精神的な未熟さの表れにも見えてしまいます。
大人になるということは、
「弱さをなくすこと」ではなく、
「弱さを、自分で引き受ける力を持つこと」
なのだと思います。
すべてを誰かに背負わせず、
せめて、
外では少しだけでも踏ん張る。
少しだけでも、かっこつける。
それも、大人の責任です。
未熟さをさらけ出す場所は、
本来、他人ではなく、
まず自分自身であるべきなのかもしれません。
自分の能力や不安を、
“優しい誰か”に預け続けることは、
その人を傷つけることにも、
つながっていきます。

支えすぎる人が、壊れていく構造
一方で、
支える側にも問題があります。
・頼まれると断れない
・期待に応えたい
・見捨てたくない
そんな思いが積み重なると、
いつの間にか、
👉 考える人
👉 判断する人
👉 最終責任者
になってしまいます。
肩書きも評価もないまま。
これは、
優しさではなく、
過労です。

距離を取ることは、冷たさではない
私は、その後、
意識して距離を取りました。
突き放したわけではありません。
「一緒に考えるけれど、
決めるのはあなた」
という線を引いただけです。
それは、
相手のためでもあり、
自分のためでもありました。
支えないことも、誠実さ
本当の支援とは、
代わりに考えることではなく、
考えられる力を取り戻してもらうことです。
楽をさせることではなく、
立てるようにすることです。
ときには、
支えないことのほうが、
誠実な場合もあります。

問いかけ
もしあなたが今、
・なぜか相談役になる
・なぜか責任が集まる
・なぜか疲れきっている
そんな状態にいるなら。
それは、
あなたが冷たいからではなく、
優しすぎる側にいるだけかもしれません。
あなたは今、
誰かの「安心装置」になりすぎていませんか?
もし、似た経験があれば、
ぜひ教えてください。
きっと、あなただけではありません。
誰にも理解されなかった感覚が、
ここで少しでも言葉になっていたなら嬉しいです。
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