【看護師・保健師のキャリア再設計|転機編①】看護師から企業へ|産業保健師になった私の転機

看護師・保健師のキャリア―転機編

私は、病院で働く看護師として悩みながら働く中で
産業保健師として企業へ転職する道を選びました。

今、悩んでいる看護師のみなさんへ

今、

「このまま臨床を続けていていいのかな」
「でも、辞める勇気もない」

そんなふうに悩んでいる看護師さんへ。

これは、かつての私自身に向けて書く文章でもあります。

毎日必死に働きながら、
心のどこかでずっと違和感を抱えていました。

でも当時は、それを「自分の弱さ」だと思っていました。

初めまして、企業看護師・保健師です

はじめまして、ノアです。

私はこれまで、病院、行政、企業など、
いくつかの現場で働いてきました。

決して、特別に優秀だったわけではありません。

むしろ、悩みながら、迷いながら、
遠回りしてきたタイプです。

このブログでは、
「なぜ私は企業で働く道を選んだのか」
その背景を、正直に書いていきます。

「手に職」を選ばざるを得なかった時代

私が進学を考えていた頃は、
就職環境がとても厳しい時代でした。

正社員になれず、不安定な働き方をする人も多く、
将来に希望を持ちにくい空気がありました。

「女一人で、生きていくにはどうしたらいいんだろう」

そう考えたとき、
自然と浮かんだのが「医療職」でした。

安定して働ける。
資格があれば、仕事に困りにくい。

これは、個人の夢というより、
“生き延びるための選択”だったと思います。

思っていたより、ずっと厳しかった現実

看護学部に進学してから、
現実の厳しさを知りました。

勉強や実習に加えて、
少し体育会系な空気のある人間関係にも、
正直かなり消耗していました。

上下関係、根性論、
“天職神話”で自己犠牲が当たり前が見え隠れする文化

そこにうまく適応できない自分を、
「弱いのかもしれない」と責めていた時期もあります。

「私は、本当にこの仕事を続けられるのかな」

3年生の頃には、
何度もそう思っていました。

でも、多くの友人と同じように、
結局は流れに乗るように就職しました。

迷っていても、毎日が忙しく立ち止まる余裕はなかったのです。

看護師のキャリアに感じた違和感

臨床に出てからも、
悩みはなくなりませんでした。

忙しさ、責任、プレッシャー。

「向いていないのかもしれない」

そう思いながら働く日は、何度もありました。

現場で、ずっと違和感があったのは、
「耐えるのが当たり前」というより、

「看護師は天職なんだから」
「人に尽くして当然でしょう」

という空気でした。

看護師は、
天から選ばれて与えられた仕事。

だから、自分のことは後回しにして、
犠牲にしてでも差し出すべき。

だって、自分で選んだんだから。

そんな無言の圧力が、
いつもありました。

上席である医師や、患者さんからの心ない言葉、
セクハラまがいの態度に対しても、

「私たちは看護師だから、耐えるしかないよね」
「これも仕事のうちだよ」
「私たちは女優よ」

そんな言葉で、
すべてが片づけられてしまう。

文句を言うこと自体が、
わがままのように扱われる空気が、
私はとても苦しかったのです。

当時の私は、

「みんな頑張っているから」
というより、

「ここで辞めたら、自分に負けた気がする」

そんな気持ちで踏みとどまっていました。

逃げた人になりたくなかったし、
簡単に諦めたと思われるのも怖かった。

だから、苦しくても続けていました。

退職を決めてから、
職場の空気は少しずつ変わっていきました。

あからさまではないけれど、
距離を置かれているような感覚。

挨拶をしても返ってこないこともあり、
「無視」に近い状態だと感じることもありました。

また、こんな言葉をかけられることもありました。

「そんなことして、将来大丈夫なの?」
「キャリアにならないんじゃない?」

悪気がないように見えても、
当時の私には、かなり堪えるものでした。

応援してくれた人は、
同じ職場の中では、ほんの一人だけでした。

多くの人がいる中で、
味方だと感じられる人は、ほとんどいなかった。

今思えば、それも珍しいことではありません。

不安の強い職場ほど、
“違う選択をする人”に、
厳しくなりやすいのです。

残る側が、自分の選択を正当化するために、
無意識に距離を取ってしまうのです。

「ここ以外の世界」を知ったとき

臨床で働き続ける中で、
私は少しずつ疲れていきました。

身体だけでなく、
「これが普通なんだ」と思い込もうとする自分自身に。

そんなとき、
偶然、病院の外の世界に触れる機会がありました。

医療とは違う価値観、
違う働き方、
違う人生の選択。

そこには、
今まで私が知らなかった世界がありました。

「こんな生き方も、あったんだ」

そう思えたことが、
最初の転機だった気がします。

「続けられない=負け」ではなかった

それまでの私は、

「辞めたら負け」
「続けられない自分が悪い」

と、ずっと思っていました。

でも、外の世界を知ってから、
考え方が変わりました。

続けられないのではなく、
合わない場所に、無理に合わせていただけ。

そう気づいたのです。

企業で働く保健師という選択

すぐに答えが出たわけではありません。

迷いながら、
いくつかの現場を経験しました。

行政、企業、さまざまな場所で働く中で、
少しずつ見えてきたものがあります。

それは、

「もっと予防の段階から関わりたい」

という思いでした。

病気になってから支えるのではなく、
壊れる前に、支えたい。

その考えが、
私を産業保健の世界へ導いてくれました。

産業保健師として感じていること

企業で働くようになって、
私は初めて、

「人を、職業人生という長い時間の中で支える」

という感覚を持てるようになりました。

社員さんの体調だけでなく、
働き方、人間関係、人生の節目。

そうしたものに、
継続的に関われることは、
この仕事の大きな魅力です。

同時に、
法律や制度、組織構造への理解も欠かせません。

個人の問題に見えることの多くが、
実は、仕組みの問題でもある。

それを実感するようになりました。

今、迷っているあなたへ

もし、今、

「このままでいいのかな」
「でも、辞める勇気もない」

そんな気持ちを抱えているなら。

それは、弱さではありません。

ちゃんと、自分の人生と向き合っている証拠です。

かつての私も、
同じ場所で、同じように立ち止まっていました。

でも、道は、ひとつではありません。

そして、
今いる場所だけが、世界のすべてでもありません。

この文章が、
あなた自身の選択を考えるきっかけになれたら、
それ以上に嬉しいことはありません。

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豆知識 1 就職氷河期とは

バブル経済崩壊後の雇用環境が厳しい時期、1993年〜2004年頃に就活した世代を就職氷河期世代と言います。
いまだにこの打撃は大きく、会社でもこの年代の正社員がすっぽり抜けていたり、非正規雇用として働かざるを得ない人が多いのが現状です。
現在厚労省でも氷河期世代に向けた支援を行っています。

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