第一部|組織と依存の構造「感受性の高い人の仕事の見え方」シリーズ
このシリーズでは、
「なぜ、優しい人ほど職場で消耗していくのか」をテーマに、
実体験と心理構造の両面から掘り下げています。
第一部では、組織・人間関係・依存構造の問題を分析し、
第二部では、自分の人生を取り戻すための視点を整理していきます。
読み進めることで、
「我慢するしかなかった自分」から、
「選び直せる自分」へ変わっていくことを目指しています。このシリーズでは、
「感受性が高く、まじめで、仕事に誠実な人」が
なぜ職場で消耗しやすいのかを、構造的に書いています。このシリーズでは、
「感受性が高い」「やさしい」「責任感が強い」人ほど、
職場で静かに消耗していく構造を、言葉にしていきます。
はじめに
頼まれた仕事を断れない。
誰よりも気づいてしまう。
トラブルを先回りして処理してしまう。
その結果、
いちばん頑張っている人ほど、
いちばん疲れていく。
それは、性格の問題ではありません。
多くの場合、職場の「仕組み」の問題です。
第1回の今回は、
なぜ「やさしくて仕事のできる人」ほど、
会社で静かに消耗してしまうのか。
その構造を整理していきます。
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優しくて仕事のできる人が、なぜ会社で消耗していくのか。
この音楽は、声を上げなかった人たちの内側に溜まる感覚を
言葉より先に伝えるために作りました。よかったら聞いてください。
会社にいると静かに消耗していく ― そんな感覚はありませんか。
- ハラスメントではない
- トラブルもない
- 仕事は回っている
それなのに、
帰宅後に何もできない疲れだけが残るのはなぜなのかと思ったことはありませんか。
仕事が嫌いなわけではなく、むしろ好き。
逃げ出したくなるほどのトラブルがあるわけでもない。
それでも、会社にいると静かに消耗していく――そんな感覚はありませんか。
私も長いあいだ、その感覚をうまく言葉にできずにいました。
会議では話を最後まで聞いてもらえず、調整役として動くことは増えていくのに、判断はどこか曖昧なまま。
それでも「ありがとう」と言われるので、問題はないのだと思っていました。
けれど、帰宅後に残る疲れは、以前とは明らかに質が違っていました。
体ではなく、感覚のほうがすり減っていくような疲れです。
自分の弱さや気にしすぎのせいにしそうになったとき、ようやく立ち止まって考えることになりました。
いったい、何が起きていたのだろう、と。

「善意」と「能力」で回っている職場
目立った問題があるわけではありませんでした。
指示も一応はあり、業務は滞りなく進んでいました。
ただ、細かな確認や調整、説明といった作業は、いつの間にか私がすべて引き受ける前提になっていました。
誰かの発言が強すぎれば場を和らげ、認識にズレがあれば間に入って補足する。
そうして会議が終わる頃には、決まったようで決まっていない事項が残り、後から個別に対応することになります。
それでも、表立って困る人はいません。
混乱は起きず、空気も悪くならない。
その代わり、私の中にだけ、処理しきれない疲れが積み重なっていきました。

なぜ私が、それを引き受けていたのか
今思えば、私がそれらを引き受けていたのは、責任感が強かったからでも、断れなかったからでもなかった気がします。
ただ、状況を理解していて、必要なことが、私ひとりにだけ見えてしまったからです。
専門職として現場を見ていると、曖昧なまま進めば後で問題になる点や、誰かがフォローしなければ混乱が生じる場面が、自然と目に入ります。
それを放置するほうが、結果的に負担が大きくなることも分かっていました。
だから、先回りして整え、言葉を補い、つなぎました。
その場はうまく回りますし、誰かが困ることもありません。
けれど、その「見えてしまう人」が担う負荷は、業務としては見えにくいままです。
私はいつの間にか、その役割を“仕事の一部”として引き受け続けていました。

それが評価に結びつかないと気づいたとき
しばらくして、その役割が評価に結びついていないことに気づきました。
目に見える成果として残らないため、振り返りの場でも話題に上がりません。
会議が滞りなく終わったことや、混乱が起きなかったことは、「何もなかった」として扱われます。
一方で、声の大きい意見や、分かりやすいアウトプットだけが評価されていきます。
調整や補足、後処理にかかった時間や労力は、最初から存在しなかったかのようでした。
それでも、「ありがとう」と言われる場面はありましたし、「あなたがいてくれてよかった」とも言われました。
ただ、その言葉は評価には変換されず、役割も見直されません。
ここで初めて、私は違和感を覚えました。
これは頑張り方の問題ではなく、そもそも測られていない仕事なのではないか、と。

このまま続けたら危ないと感じた瞬間
はっきりとした限界が来たわけではありませんでした。
時々朝早く目覚めたり寝つきの悪い日があるものの眠れなくなったわけでも、
体調を大きく崩したわけでもない。
それでも、どこかで「このまま続けたら危ないかもしれない」と感じ始めていました。
今思えば、私は徐々に削られていたのだと思います。
ただ、そのストレスは強い痛みではなく、微量でした。
日常に紛れてしまう程度の、気づきにくい疲れです。
少しの違和感や緊張が常態化すると、それが普通になってしまいます。
「このくらいなら大丈夫」と自分に言い聞かせながら、知らないうちに自分の余白を削り続けていました。
危険だと感じたのは、限界が近づいたからではなく、
何も感じなくなりかけている自分に気づいたときでした。

構造の整理 ーこれは個人の問題ではなかったー
ここまで振り返ってみて、ようやく分かってきたことがあります。
私が消耗していたのは、能力や姿勢の問題ではありませんでした。
会社の中には、公式には定義されていないけれど、確実に存在する役割があります。
場を整えること、認識を揃えること、衝突を未然に防ぐこと。
それらは業務を円滑に進めるために不可欠ですが、成果としては可視化されにくい仕事です。
そして、その役割は「できる人」に集まりやすく、「やらないと回らない人」が担い続ける構造になっています。
一度引き受けると、それは能力ではなく“前提”として扱われ、評価や権限には結びつきません。
私はその構造の中で、仕事をしていたのだと思います。
個人の頑張りでは埋まらない消耗が生まれるのは、ある意味で当然の構造でした。

私が“変えなかったこと”
この状況に気づいたあと、何かを大きく変えたわけではありません。
強く主張するようになったわけでも、急に線を引いたわけでもない。
ただ、一つだけ意識して変えなかったことがあります。
それは、自分の感じている違和感をなかったことにしない、ということでした。
これまでなら、「気にしすぎだ」「これくらい普通だ」と、自分の感覚を先に疑っていたと思います。
けれど、それをやめました。
分からないままにせず、「何が消耗につながっているのか」を心の中で確認し続けるようにしました。
役割をすぐに降りることはできなくても、
自分を納得させるために無理な意味づけをするのはやめる。
それだけで、削られ方は少し変わりました。
変えなかったのは態度ではなく、自分との関係だったのだと思います。

やさしくて仕事のできる人が、消耗しやすい理由 ー静かなエールー
こうした仕事は、特別な会社だけで起きていることではありません。
多くの職場に、責任感があり、仕事ができて、周囲への配慮を忘れない人がいます。
そして、そういう人ほど、誰かが引き受けなければ回らない仕事を自然と担うようになります。
それは評価されにくく、名前もつきにくい仕事です。
けれど確実に、職場を支えています。
もし今、理由のはっきりしない疲れを感じているなら、
それはあなたが弱いからではなく、
気づかないうちに、消耗しやすい役割を引き受け続けているからかもしれません。
まずはその事実に、気づくだけで十分だと思います。

まとめ
仕事が嫌いなわけではない。
逃げたいほど辛い出来事があるわけでもない。
- それでも、会社にいると静かに消耗していく――もしそんな感覚があるなら
- その消耗は努力不足でも、気合い不足でもなく
- ただ、気づきにくい形で積み重なっていく“あるもの”があったのです。
この違和感の正体は、
個人の能力やメンタルの問題ではありませんでした。
でも、それに気づくには
「頑張り方を変える」より前に視点を変える必要がありました。



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