※この記事は
第一部|組織と依存の構造
「感受性の高い人の仕事の見え方」シリーズの第10回です。
▶ 第1回|やさしくて仕事のできる人ほど、会社で静かに消耗する
▶ 第2回|感受性の高い人と低い人の働き方の違い ― 過去・現在・未来の視点から考える ―
▶ 第3回|抽象思考の人ほど、職場で消耗していく理由―「翻訳役」になってしまう構造―
▶ 第4回|記憶力がいい人ほど、職場で消耗していく理由―「説明係」になってしまう構造―
▶ 第5回|危険を読む人ほど、前に出られなくなる
▶ 第6回|同じ職場なのに、なぜこんなにしんどいのか
▶ 第7回|なぜ組織は「見ないふり」をするのか
このシリーズでは、
「なぜ、優しい人ほど職場で消耗していくのか」をテーマに、
実体験と心理構造の両面から掘り下げています。
第一部では、組織・人間関係・依存構造の問題を分析し、
第二部では、自分の人生を取り戻すための視点を整理していきます。
読み進めることで、
「我慢するしかなかった自分」から、
「選び直せる自分」へ変わっていくことを目指しています。このシリーズでは、
「感受性が高く、まじめで、仕事に誠実な人」が
なぜ職場で消耗しやすいのかを、構造的に書いています。

同じ職場なのにしんどい理由とは?
職場や人間関係で「なぜ自分だけ疲れるのか」と感じていませんか?
職場や日常で「気になる人」との関係が続くと、なぜか心にモヤモヤが残ることがあります。
人はしばしば、依頼されなかったり、誘われなかったり、対応が雑だったりしただけで、
無意識に「嫌われているのか」と解釈しがちです。
しかし実際には、多くの場合、そこにあるのは心理的役割と関係のズレです。
心理的な距離の差
人は無意識に、相手との距離や関わり方を調整しています。
その理由には次のようなものがあります。
- 関係性と役割の違い
- 親密な交流は心理的負荷が少なく、気楽に付き合える相手が優先される
- サポート役や補助役の人は、心理的に誘いにくくなることがある
- 心理的負荷の差
- 人は、自分に気を使わせる可能性のある相手には無意識に距離を置く
- 依頼や誘いの有無は個人評価のサインではなく、役割や状況の自然な差である
- 役割と期待のギャップ
- 支援的な役割を持つ人は、無意識に「誘いにくい対象」と認識されやすい
- これは軽視ではなく、心理的バランスの結果である

感受性が違えば、見えている世界はまったく違う
同じ職場、同じ出来事を経験していても、
人によって「見えている世界」は大きく異なります。
理由はシンプルで、
人には生まれつき、
刺激や感情をどれくらい細かく感じ取るかという
「感受性の差」があるからです。
心理学の研究では、
いわゆる「感受性が高い人」は全体の約15〜25%程度、
残りの70%前後は平均〜低感受性層に分類されると言われています。
つまり、職場や社会では、
▶ 多数派は「そこまで気づかない側」
▶ 少数派が「気づきすぎる側」
になる構造が、最初からできています。
少数派である「気づきすぎる側」が
「そこまで気づかない側」の状態になったことがないため
理解できないことがあります。
その逆もしかりで、「そこまで気づかない側」は
「気づきすぎる側」の感覚を想像できないことが多い。
そんなことが職場では起こっています。
そして、この物事のとらえ方の差で、
傷つく側と、知らずに傷つけてしまった側に分かれてしまうことがあります。

感受性だけでなく「感情制御力」でも世界は変わる
さらに重要なのは、
世界の見え方を決めるのは感受性だけではない、ということです。
もう一つの大きな要素が、
感情のコントロール力(感情制御力)
です。
これは、
- 不快感をどう処理できるか
- モヤモヤを溜めすぎないか
- 反射的に反応しないか
といった力のことです。
研究や臨床の知見から見ると(あくまで傾向としてですが)、
感情制御が比較的安定している人は全体の約60〜70%
弱い傾向のある人は約20〜30%
かなり不安定な層は10%前後
と考えられています。

「感受性 × 感情制御」で4つの世界が生まれる
この2つが組み合わさると、人は大きく4タイプに分かれます。
① 感受性が高く、制御力も高い人(約10〜15%)
→ 構造が見える/疲れやすいが言語化できる層
② 感受性が高く、制御が弱い人(約10%)
→ 傷つきやすく、消耗しやすい層
③ 感受性が低めで、制御が高い人(約40%)
→ 安定した多数派・社会適応型
④ 感受性が低めで、制御も弱い人(約20%)
→ 対人調整が苦手になりやすく、関係の摩擦が生じやすい層
私の記事を読んで共感を覚えるみなさんは
①か②に属している人が多いのではないかと思います。
だからこそ、
「なぜ自分だけ気づくのか」
「なぜこんなに疲れるのか」
と悩みやすいのです。

多数派と少数派では、同じ出来事が別物に見える
たとえば、職場の人間関係ひとつでも、
感受性が低めの人には
→「普通の雑談」「よくあるランチ会や飲み会」「よくあるフィードバック」
に見えるものが、
感受性が高い人には
→「無言の圧」「微妙な違和感」「距離感のズレ」「断りにくいランチ会や飲み会」「否定された」
として見えてしまいます。
これは考えすぎではありません。
ただ脳に入ってくる情報の量と処理量が違うだけです。

「気づけること」は才能だが、負担にもなる
感受性が高く、構造が見える人は、
✔ 問題の芽に早く気づく
✔ 人間関係の歪みに気づく
✔ 空気の変化を読む
という強みを持ちます。
一方で、
✔ 誰よりも先に疲れる
✔ 誰にも理解されない
✔ 自分だけ悩む
という代償も背負います。
この両面を知らずにいると、
自分を責め続けてしまいます。
自分の世界を疑わなくていい
もしあなたが、
「なぜ私だけ気づくのか」
「なぜこんなにしんどいのか」
と思ってきたなら、
それは性格の問題ではありません。
あなたが、
“見えすぎる側の世界”にいるだけです。
そして、その世界は少数派です。

この視点を持つと楽になる
感受性が高い人は、他人の小さな行動に敏感な一方で、
気づかない側からみると過剰解釈しがちです。
辛いときには距離を調整することは冷たさではなく、
自分を守るための健全な選択です。
自然と多くの情報量は入ってきてしまいますが、
この事象をどう構造に落とし、
理解して対策を立てるかを考えればいいのです。
まとめ
皆さんは、無意識に距離を置いてしまう関係はありますか?
そのとき、事実と感情をどう切り分けていますか?
コメントやメモや日記に書き出すことで、
新しい気づきや負担の軽減につながるかもしれません。



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