※この記事は
第一部|組織と依存の構造
「感受性の高い人の仕事の見え方」シリーズの第2回です。
▶ 第1回|やさしくて仕事のできる人ほど、会社で静かに消耗する
▶ 第2回|感受性の高い人と低い人の働き方の違い ― 過去・現在・未来の視点から考える ―
▶ 第3回|抽象思考の人ほど、職場で消耗していく理由―「翻訳役」になってしまう構造―
▶ 第4回|記憶力がいい人ほど、職場で消耗していく理由―「説明係」になってしまう構造―
▶ 第5回|危険を読む人ほど、前に出られなくなる
▶ 第6回|同じ職場なのに、なぜこんなにしんどいのか
▶ 第7回|なぜ組織は「見ないふり」をするのか
このシリーズでは、
「なぜ、優しい人ほど職場で消耗していくのか」をテーマに、
実体験と心理構造の両面から掘り下げています。
第一部では、組織・人間関係・依存構造の問題を分析し、
第二部では、自分の人生を取り戻すための視点を整理していきます。
読み進めることで、
「我慢するしかなかった自分」から、
「選び直せる自分」へ変わっていくことを目指しています。このシリーズでは、
「感受性が高く、まじめで、仕事に誠実な人」が
なぜ職場で消耗しやすいのかを、構造的に書いています。
はじめに
がんばっているのに評価されにくい。
空気を読みすぎて疲れる。
周囲に合わせるほど、自分がすり減っていく。
それは、あなたが弱いからではありません。
多くの場合、「構造」の問題です。
この連載では、
感受性の高い人が仕事をどう見ているのか、
なぜ疲れやすいのか、
どうすれば壊れずに働けるのかを、
一つずつ整理していきます。
仕事の見え方ー過去・現在・未来ー
同じ職場で、同じ仕事をしているはずなのに、
なぜか特定の人だけが疲れていく。
その一方で、淡々と業務をこなし、定時で帰り、あまり消耗していないように見える人もいる。
私は長い間、この違いを「能力」や「性格」の問題だと思っていた。
けれど今は、少し違う見方をしている。
感受性の高い人と低い人とでは、そもそも仕事の見え方そのものが違うのではないか。
そして、過去・現在・未来のどこに視点を置いて仕事をしているかによって、
背負っている負荷の量が大きく変わっているのではないか。
この違いは、努力では埋まらない。
むしろ、気づかないまま働き続けると、静かに心を削っていく。
今日は、その構造について書いてみます。

感受性の高い人と低い人は、同じ仕事を“まったく別のもの”として見ている
感受性の高い人は、仕事を「作業」だけとして見ていないことが多い。
指示された内容の裏にある意図や、まだ言葉になっていない不安、誰かが困りそうな気配まで拾ってしまう。
その結果、求められていない一手先まで自然と引き受けてしまう。
一方で、感受性が低い人は、決して不真面目というわけではない。
ただ、仕事を「今、目の前で完了させるべきこと」として捉えている。
終わったものは終わったこととして切り替え、次に進む。
過去の出来事はそれぞれぶつ切りにされてそれぞれ区分けされるので、
そこに、過去・現在・未来が一連の連続性を持たず、それぞれ関連させず、
後から起きるかもしれない問題や、周囲の感情までは含まれない。
この違いは、本人の努力や意識の問題ではない。
同じ仕事をしていても、見えている情報量が違うだけなのだ。
さらに、仕事に向ける視点の置き方も、消耗の度合いに大きく影響する。
過去を基準に仕事をする人、現在だけを見て動く人、未来を見据えて動く人。
どの視点が正しいという話ではないが、未来に視点を置く人ほど、
「今はまだ問題になっていないこと」を先に背負いやすい。
私はこの二つ――
感受性の高さと、未来に視点を置く癖――
その組み合わせによって、気づかないうちに仕事の負荷を増やしていたのだと思う。

なぜ“できる人”ほど気づきにくいのか
仕事ができる人ほど、自分が消耗していることに気づきにくい。
それは、無理をしているからではない。
むしろ、「できてしまう」からだ。
周囲が困る前に気づき、手を打ち、場が回るように整える。
結果として問題は表に出ず、「何も起きていない状態」が続く。
その状態は、評価されるべき成果のようでいて、実は存在しないものとして扱われやすい。
できる人は、トラブルが起きてから動くのではなく、
起きないように動く。
けれど、起きなかった出来事は記録にも残らず、
「あなたがいなかったら起きていた問題」は、証明できない。
さらに、できる人ほど、自分の疲れを問題として扱わない。
少しの違和感やストレスは、調整や工夫で乗り越えられるものだと思っている。
その感覚があるからこそ、限界の手前で立ち止まるという選択肢が、視界に入らない。
そしてもう一つ。
できる人は、「できない人」を責めない。
だからこそ、自分が引き受けている負荷を、構造の問題として捉えにくい。
気づいたときには、仕事の量ではなく、心の余白が先に削られている。

それでも続けてしまう理由
それでも多くの人が、その働き方を続けてしまう。
限界に近づいていることに、どこかで気づいていながら。
一つには、「自分がやらなければ回らない」という感覚がある。
実際、あなたが動くことで場が整い、問題が起きずに済んできた。
だからこそ、その役割を手放すことが、無責任に感じてしまう。
もう一つは、続けているうちに、それが当たり前の自分になっていくことだ。
周囲からは「頼りになる人」「安心して任せられる人」と見られ、
その期待に応え続けることが、自分の価値のように錯覚していく。
そして何より大きいのは、
「まだ大丈夫」「もっと大変な人もいる」という比較だ。
明確な破綻が起きていない限り、今の状態を問題だと認める理由が見つからない。
不調が小さく、ゆっくり進むほど、人はそれに慣れてしまう。
こうして、限界は音もなく近づく。
壊れてから初めて、あれは無理をしていたのだと気づくことも多い。
この働き方を続けてきたのは、弱さではない。
むしろ、責任感や誠実さ、周囲を思う気持ちの延長線にある。
だからこそ、自分で自分を止めることが、いちばん難しい。

変えられなかったのではなく、変える言葉を知らなかった
当時の私は、状況を変えたいと思っていなかったわけではない。
ただ、「変えていい」と判断するための言葉を、持っていなかった。
忙しさや違和感を感じても、それをどう表現すればいいのかわからない。
「つらい」と言うほどではない。
「無理だ」と言うには、まだ動けてしまう。
そんな曖昧な状態を説明できる言葉が、手元になかった。
職場で使われる言葉は、効率や成果、役割や責任が中心だ。
その中で、「見えない負荷」や「先回りして背負っていること」は、
語られにくく、評価の枠にも入りにくい。
結果として、私は問題を自分の内側の調整で解決しようとしていた。
やり方を工夫し、時間を捻出し、感情を抑え、なんとか回す。
それは適応であり、同時に、静かな自己消耗でもあった。
振り返って思うのは、
あのとき必要だったのは、根性でも覚悟でもなかったということだ。
「これは個人の努力で抱える問題ではない」と
自分に許可を出すための言葉だったのだと思う。

どの会社にもいる人の話
どの会社にも、同じような人がいる。
責任感が強く、仕事のできる人。
頼まれたら断れず、周囲のために手を動かす。
その結果、いつの間にか消耗している。
そういう人は、決して無能でも、怠けているわけでもない。
むしろ、職場にとっては貴重な存在だ。
だからこそ、負荷は見えにくい。
「なんとかなる人」と思われ、気づかれないまま引き受け続ける。
でも、気づかないうちに少しずつ削られる。
慢性的なストレスが蓄積され、心の余白が減っていく。
そして、多くの人が「自分だけが弱い」と思い込みやすい。
それでも、ここに書いたように、理由は個人の性格ではない。
むしろ、その人の誠実さや責任感、周囲への思いやりが原因だ。
その事実を知るだけで、少し立ち止まり、息をつくことができる。
静かに、しかし確実に、自分を守る第一歩になるのだ。

まとめ:消耗する自分を否定しなくていい
仕事で心が削られるのは、あなたの弱さではありません。
むしろ、責任感や誠実さ、周囲を思いやる力があるからこそ、
気づかないうちに負荷を背負ってしまうのです。
同じ会社にいる誰もが、その仕組みの中で生きている。
できる人ほど目立たず、できない人ほど目立ちやすい。
その違いは、能力の差ではなく、見えている景色の差です。
大切なのは、まず自分の状態に気づくこと。
そして、必要な言葉を持ち、静かに自分に許可を出すこと。
「全部引き受けなくていい」「助けを求めていい」
その一言が、消耗し続ける働き方から抜け出す第一歩になります。
あなたが今感じている違和感や疲れは、
未来の自分を守るサインです。
その感覚を尊重し、少し立ち止まること。
それだけでも、心の余白は少しずつ回復していきます。



コメント